2021年3月28日日曜日

近鉄終着駅の水族館、志摩マリンランド営業休止によせて 

※掲載写真はいずれもHaie撮影によるものです。転載不可

 伊勢志摩エリアには、『水族館』と呼べる3つの施設があります。

 ひとつは鳥羽水族館。ラッコブームの立役者でもあり、また順路を廃止した新たな取り組みで復活を果たした飼育種数日本一を標榜する巨大水族館です。

 ふたつめは、夫婦岩に近い伊勢シーパラダイス。魚類の展示よりも海獣類や陸生動物とのふれ合いを前面に押し出した、パフォーマンス特化の癒し系水族館ともいうべきでしょう。


  そして三つめが近鉄の終点、賢島にある「志摩マリンランド」です。フンボルトペンギンやケープペンギン、マンボウの飼育をメインに打ち出しています。

 

 開館が昭和45年(1970年)ということで、上記2施設の中で最も古いと思いきや、実は設立は一番新しいのです。(鳥羽1955年、伊勢1960年)

 こちらは近畿日本鉄道が親会社となって運営する水族館で、伊勢神宮へ行幸になる皇室関係者も訪れたことのある事績があります。

 しかしながら先日、長く慕われてきたこの志摩マリンランドが、設備の老朽化を理由に2021年3月末をもって営業休止という発表がされました。

 新型コロナウィルスの流行で観光レジャー産業が窮地に立たされる中でのニュースでもあり、非常にショックを受けました。

 私が生まれて初めて見学したのは、京都大学付属白浜水族館。小学校低学年の私にはとても暗くて怖い場所で生き物を楽しむどころではありませんでした。(こちらが無脊椎動物メインだったのも理由かもしれません)

 もう少し時間がたち、小学校の臨海学校で見学したのがこの「志摩マリンランド」であったことはよく覚えています。暗い怖いイメージしかなかった私が、「面白い!」と感じられたのが同館でした。

 そして私が初めて触れたサメが、こちらのタッチプールにいた可愛いネコザメで、ごつごつザラザラした感触は、のちにサメマニアとなる私の原体験とも呼べるものでしょう。(その後、海遊館開館で真にサメに目覚めるわけですが)

             タッチプールではトラザメの産卵も見られる

 成人してからもサメ好きとして伊勢志摩エリアでは注目の施設と考えていて、年に一回は訪れていたと思います。(恐らく鳥羽水族館よりも回数は多いはず)

 上記2館のサメ展示は、伊勢シーパラダイスは訪問当時ドチザメonlyで再訪問対象を外れ、鳥羽水族館もサメ専用水槽があるものの、規模が小さめで少し物足りない印象で(サメ特別展などは素晴らしいのです)、志摩マリンは思い出補正とレア種の展示で、近鉄特急直結の終点至近という利便性も相まってそのような位置づけで訪れていたのだと思います。

 私がかつてサメマニアとして発信していたホームページ「Haieのナカミ」の水族館紹介ページでも「伊勢志摩エリアでサメを見るならココ」と推薦をしていました。

 サメ推しの私が、同館に注目していた理由は、「レモンザメ(かつていた)」「ヒゲツノザメ(鳥羽にもいます)」「ハナカケトラザメ(他、大洗のみ)」などのあまり飼育園館がない種がいたことです。

ヒゲツノザメとハナカケトラザメはレア!

 ハナカケトラザメは、ヨーロッパにしかいない種で、古くは海外交流で得たものが園内繁殖によっていまも継世代飼育されているという特筆すべき点があります。

 他にも「ネコザメ」「トラザメ」「イヌザメ」「ドチザメ」「シロボシテンジク(テンジクザメ)」「コモリザメ」と、地味ながらちゃんとサメが見られる点で気合を入れずにのんびりゆっくり楽しめる雰囲気がありました。

 オールドタイプの水族館をいい感じに残しているユルさが、私好みでした。

 コロナ禍ながら久々に訪問をしてみましたが、観光地のファミリー層にはドンピシャな需要を拾えていたことは間違いなく、メインではないにしてもそれに準ずるコンテンツであったことは閉館発表後連日の駆け込み需要が物語る部分ではないかと思います。

 前段で述べた他の施設は、その後に方針転換と設備更新を行い、需要を拾うことを模索し続けていました。経営が順調ではないにしても根強いファンがいることから、観たいものを見せてくれるという要求に答える結果がそこには出ていた気がします。

マンボウは4尾同時飼育。日本では有数。

 翻って志摩マリンランドは、「いまあるものを見せる」という、よく言えば堅実、反面色気(注目を惹く何か)のない、時代から少しずれを感じる部分があったのかと思います。

 あと批判的な情報にかなり敏感な体質も感じ取られ、一定の枠内で話題を広げることはできても、突き抜けた部分ができにくいこともまた観覧者としては物足りない部分ではあったと思います。

スタッフによる手書きのイラスト。かなりお上手。

  もちろん、施設自体はとても楽しく家族連れが安心して見せられるコンテンツという、需要には間違いなく答えられていたでしょう。他方でペンギン列車という、列車内でペンギンと触れ合える企画など、一風変わったサービスも行っていました。

 学びとレジャーの両立、バランス感覚が十二分に発揮できていた、だからこその閉館前の最後の思い出にと訪れる人が後を絶たないのです。

 古き良き水族館と、言い成せる部分もありますが一方で水族館という施設の役割が、一企業の事業では止まらない発展もしてきた部分があります。

 例えば地域文化情報の発信や博物展示の部分ですが、志摩マリンランドはかなり標本や解説展示がしっかりしています。 学術施設としては、近隣の水産高校と連携して地域の魚類調査などの協力を果たし、教育の面もかなり貢献されていたことが分かります。(ニュースではそういった関係者からの惜しむ声が後を絶ちませんでした)

地元水産高校生による展示コーナー

真珠養殖の盛んな志摩ならでは
 また伊勢志摩地方の文化情報、海女の実演や真珠貝の解説なども他館では見られないものです。(真珠それのみを扱う施設は他にも存在しますが併設はここだけ)

海女の実演餌付け 

 事業の終焉で水族館が蓄積してきた飼育や採集のノウハウなど、ソフト面の散逸が誠に惜しい部分ではあります。マンボウの継続飼育や地元産の魚種展示などは、あまり注目されないですがかなりの充実を感じます。

 数年前にリニューアルを行ったそうですが、小規模なもので根本的な施設改変とまでは行かなかったようです。

 建替えリニューアルという莫大な投資に対して見返りが期待できない故の小規模リニューアルでしたが、延命と呼ぶには少し力が及ばなかったと見ざるを得ません。

 採算の難しい事業を劇的に変えるコンテンツが開館以来育ってこなかったが故の結果なのでしょうか。

 

 昨今の水族館ニューオープンの流れから見るに、衰退産業ではない確信があるものの、「水族館ってこういうものでしょ?」というイメージがかなり以前とは変わってしまった印象は受けます。

 堅実な水族展示以外の部分が観覧者のキャッチ―な需要に変わりつつあるのでしょう。

 私自身、ニュータイプの水族館に若干の違和感を覚えつつも、ウケが良い部分も理解はしています。いわゆる「魅せる展示」です。

 もちろんマニアックなツボを求める少数派もいるのでしょうが、水族館「が」好きな人に合わせる展示でなくて、水族館「も」好きな人に合わせる展示が必要なのです。

 価値があるものをただ見せればよいのではなく、価値があることを気づかせなくてはいい展示ではないでしょう。

 観光特急「しまかぜ」をはじめ名阪直通特急「ひのとり」など鉄道事業では独自のコンテンツを生み出して価値の創出に邁進している近畿日本鉄道ですが、50年を経過して志摩方面での水族館事業の撤退という結果ならとても残念です。

しまかぜや伊勢志摩ライナーの発着する賢島駅は観光ターミナル

  近鉄は、海遊館を子会社化してPRをしていますが、志摩マリンランドとの相互作用が距離も相まって思うように働かなかったかと、推し量るばかりです。

 飼育生物を他の園館へ譲渡する旨の発言を聞き、私が気にかけているサメたち(特にヒゲツノザメとハナカケトラザメ)をまた元気な姿で見られるのかが、最後の希望でもあります。(スタッフの方によれば、各所に「予約」があるそうです。引受先が見つかるまでしばらく飼育を継続する必要があるとおっしゃっていました)

 最期の特別展は、スタッフイチオシ生物の紹介でした。皆さん本当に生き物が好きでこの仕事をされていることがよくわかりました。

最後となった特別展

 (残念ながら「サメ」が好きだというスタッフさんの記述はありませんでした 悲)

 手書きのポップや看板を見ると知識量や情報量がハンパないことが伝わってきます。ただ一つ言えることは、水族館に代わる施設は水族館でしかありえない、のです。

クラゲだけでこの情報量!
 

 もしこのままこの地から水族館が消えるなら、日本有数の私鉄会社が長年続いた自社コンテンツを一つ失うという決断として、他の企業へも重いメッセージ含むことから、私は非常に危機感を持っています。

ミカドウミウシは研究者であった昭和天皇ゆかりのもの
 

 かつて財界にも多くのアマチュア生物研究者がおられましたが、今はそんな教養や素養は時代遅れなのかと思うと寂しい限りです。スクラップアンドビルドで、新しい価値の創出を担える業態だけに経営陣がそういった魅力に気づけないのであれば、いたし方ないのかもしれません。

 水族館をハード面で考えた場合、最低でも数十億と高騰する建設費を回収できる見込みに乏しいのかもしれません。ただ、昔に比べ、フォーマットそのものは完成されているので、中味がどのようなコンセプトで展開されるかがカギとなっていますから、そのヒントとなる50年以上の蓄積の放棄は誠に惜しいと言わざるを得ません。

ホシエイやノコギリエイ(上記)は、かつて最長飼育記録を打ち立てた。

 今から出来る新しい施設が、これから何十年かけて得るであろうものが今ここにある。そこに誰か気づいてほしかったものです。

 私が訪れた日は、日曜日で、あまり大きいとは言えない駐車場にひっきりなしに車がやってきました。

 開館時間9:00から入場制限しつつ、普段見ることのできない志摩マリンランドがそこにはありました。(行列は200人以上いたと思います)

 閉館カウントダウンの館内を観察すると、ペンギンとの近い距離にウキウキする初老の男性、タッチプールのエイのぬめりに驚く若い女性、知らない生き物の解説を熱心に読む少年、二人して熱帯魚を覗き込むカップル、海女の餌付けショーはのぞく隙間もないほど人垣ができ、普段見向きもされない記念メダルに行列ができそこに打刻する音が鳴りやまないという、恐らく夏場のオンシーズン以上賑わいを見せ、みんなが思い出とともに志摩マリンランドをたっぷり堪能している様子でした。 

この壁一面のメッセージを見よ!並みの水族館ではここまでなるまい。

 これを踏まえると、水族館は万人受けするレジャーの王様なのだと、少々古い考えかもしれませんが思うに至るのです。 

 水族館は集客という面で、都市部で展開する施設が有利な状況です。交通の便は必須項目で、志摩マリンランドはいわゆる観光地隣接型の遠隔地となります。しかし一方で、近鉄の特急終着駅というこの上ないアドバンテージがあります。(しかも徒歩2分!)

 観光地型の鴨川シーワールド、京急油壺マリンパークなどはいずれも駅終点ですが、バスを使うなど微妙に距離があります。

 ホテルの林立する志摩への観光客が訪問する施設として候補に挙がるのですが、水族館のボリュームを求める人は前段の施設へ流れて行ってしまう現状も現実としてはありました。

※伊勢パラ(年間20~25万人)、鳥羽(年間80~90万人)、志摩(年間15~20万人) 直近5年間の観光統計より概算値。

 近鉄が生み出した、乗ることが目的、予約殺到の観光特急「しまかぜ」ですが、終点を賢島発着に設定している反面、途中の宇治山田駅や伊勢市駅(伊勢神宮最寄)利用の割合が非常に高いようで、志摩へはほぼ鳥羽駅を境に大半の乗客は降りてしまうのです。

人気列車と言えど、賢島駅上り発車直後はこの様子。(途中駅からは満席だが...)

 無論、近隣の移動が不便で自家用車で訪れる観光客も多いので、単に終着駅という点ではそれほど有利にはならなかったのかもしれません。

 しかしながら、近鉄保有の水族館として、関西の雄「海遊館」は健闘しています。その海遊館も30周年を超え、設備更新の岐路にあると言っていいでしょう。

 私自身が思うのは、30周年記念展で未来の海遊館をイメージするコーナーがあったことから、志摩マリンランドの跡地をうまく活用して新たな世代の水族館ができれば志摩の観光地の地位の復活も見込めるのではという期待です。立地条件が集客のネックというなら、大洗水族館や美ら海水族館などその地を訪れる最大の目的としての存在まで高められれば、大化けする可能性もあります。

古代水族館という化石と生き物の博物展示。変わった試みのひとつだった。

  近鉄の歴史は、そういった逆境からのチャンスメイクがたびたびあります。伊勢湾台風からの名阪直通化工事、新幹線開業後の名阪特急凋落からデラックス特急と低価格路線での返り咲きなど、常に逆境を創意工夫で凌いだ近鉄。今回の閉館も「営業休止」という微妙な表現で発表があったことから、今の志摩マリンランドは消滅することは確実視されながらも、このままでは終わらないのでは? という新たな一手を水族館ファンとしていつか見られる日が来ればと思っています。

 例えば観光特急が海底トンネルを抜け海へつながり、本物の海を堪能しながら水族館へアクセスするそんな子供のような空想を、夢を思い描いたりします。

 古い水族館に多い、壁際に水槽が並ぶさまを「汽車窓水槽」などと呼び慣らしますが、本物の汽車窓水槽ができたらなんて…。遊園地の海底遊覧のようなアトラクションですね。

らせん状の順路に汽車窓水槽が並ぶ

 ただ博物施設としてのウェイトも、列車内でレクチャータイムを設けて解説をしながらムードを高めていく演出も出来そうです。乗ることが目的の列車がそこにはあるでしょう。

 路程でも水族館へのムードを高められるなら、それすら楽しい時間へと変わります。すでに企画されたペンギン列車は、同じテーマを実現した形ですが、その発展形ともいうべき形になるかもしれません。

 例えば6両ある列車(たとえばしまかぜや伊勢志摩ライナー)をイルカ号、サメ号、ペンギン号、マンボウ号など各車両で実物の標本、スマホやタブレットなどで映像を用いて、解説するなどの他に、景色を堪能する時間やビッフェタイムをスケジュール化して車両を最大活用するなんてことも出来そうです。

  車内に水槽を置くことは難しいかもしれませんが、足湯列車なんてものがあるなら、タッチプールつきの列車だって出来るはず。

 乗ることが目的+到着地でも楽しめる、2倍お得な観光コンテンツとして発展の夢は膨らみます。夢のある事業を水族館で実現できれば、再開への布石となると信じています。

 今はしばし、お別れの時間をじっくりと楽しんで思い出に浸ることになりますが…またどこかで会えると信じています。夢への線路は続くよどこまでも。

 51年の思い出を乗せて志摩マリンランドは終着駅に近づいていきます。そして折り返し、未来への方向幕が回る新たな出発を夢見て。

 


 楽しい思い出をありがとう! マンボウのいる素敵な水族館、志摩マリンランドよ永遠に。

@Haie

※新型コロナによる行動制限に従い、衛生用品を携帯・体調管理を行ったうえで訪問しております。

2021年3月5日金曜日

カスザメ(糟鮫)という汚名の由来を考える

 私の好きなサメに「カスザメ」という種類がいます。

真横から見たカスザメ。東海大学海洋科学博物館にてHaie撮影。
 

 恐らく多くの人が想像する「サメ」とはかなり遠いイメージのサメで、平べったい体で砂地の海底に潜り、じっとしているような生活をしています。日本では3種類(カスザメ[学名:Squatina japonica]、コロザメ[学名:Squatina nebulosa]、タイワンコロザメ[学名:Squatina formosa])、世界で計20種が知られています。

 それはまるでエイのようで、サメの特徴でもあるエラ穴の位置がエイが腹側にあるのに対して、からだの側面にあるのでかろうじて見分けがつくほどです。

  そんなカスザメ。サメ全体を大きく8つの種類に分けると、その一角を成すグループでもあります。

 しかし日本語での名前が「アホ!ボケ!カス!」の『カス』そのものなのです。

 ウバザメも「バカザメ」などと呼ばれることがありますが、和名としてではなく別名扱いなので救われますが、「カス」はまごうことなき「カス」なのです。

  そもそも「カス」とは何か。漢字で書くと「糟」。

 酒粕の粕も同じ意味です。「糟」は表記としてはあまり用いられないので通常は「粕」の字を用いるそうです。

 似た種類のコロザメは「胡盧」の漢字が充てられますが、これはコロダイの「コロ」と同じ由来と考えられます。「胡盧」はひょうたんを意味し、南紀でイノシシの子供を「コロ」と言い成し、いわゆる白い斑点がついた模様にこの字を用いるようです。

カスザメに似たコロザメ。名古屋港水族館にてHaie撮影
 

 いずれも模様由来だとモノの本には書かれることが多いのですが、カスザメを実際に水揚げして放置すると、体表にある粘膜がぬめりとなって白く変色し、「糟」のように現れるのです。

  過去にカスザメの標本(ホルマリン固定した) を見た時にはうっすら体表が白濁していたのですが、割と新鮮な解凍標本に接した時に、そのような「澱」に似た粘質の白濁した「糟」を見ることができました。

固定されたカスザメ標本。日本板鰓類研究会主催のサメ祭りにてHaie撮影。

 

 この粘液が分泌されるというお話は、東海大学客員教授の田中彰先生と東海大学海洋科学博物館にて飼育されていた実物のカスザメについて語られた時に聞いたものです。

 

体表にぬめりのような澱が付着したカスザメの標本(解凍のみ)サメ合宿にてHaie撮影。

 
 カスザメは、砂地に潜るという話をしましたが、丈夫な鱗・楯鱗というサメ肌をもつサメでも砂の中の微生物やバクテリアが皮膚から侵入する可能性があるため、保護しなくてはならないのです。胸びれで海底を煽ぐようにバサバサと砂をまきあげ、砂の下でじっと獲物を待ち伏せする姿は、牙をむき出しにするサメとは一風変わった、森の茂みで狙い定める静かなるハンターを彷彿とさせます。

 スキンケアクリームを分泌し、砂による摩擦を軽減し、擦過傷などから体を保護するのだと思います。似たような生態のアンコウやエイ類などでもぬめりとなって体表を保護する仕組みがあることからも、環境に対する収斂進化の賜物です。(かつてカスザメの体表を粉末にした塗布薬もあったそうです)

 確かに、模様も白い細かい斑点であるのですが、どちらかというとこのような性質に寄るところが大きいのではないかと思われるのです。

  カスザメの体表を切り取り、皮標本にしてみると確かに地色に斑点模様があるので「カス模様」と言いたいところですが、やはり表面の「糟」がその由来の大きなものだと感じざるを得ません。

 つまり汚名は、実際にこの白いカスを蓄えた体表にちなんだ生態を示した和名、日本で広く通用する名前として図鑑などでスタンダードに目にするようになったのでしょう。

 日本の場合、多くのサメは地方名という漁師さんが用いる魚名があり、「カスザメ」も恐らくその一つに過ぎないのでしょうが、トンビ、マント、インバ、ボオズザメなどと多岐にわたる名前から敢えて黎明期のサメ研究者がこの名を選んだのには、 生物学的に知見ある呼び方の採用という側面が大いにあったのでしょう。

 ちなみにトンビやマント、インバ(ネス)はいずれも外套の一種で、形を想像させる外形態を示したもので、これを採用するのもよかったとは思うのですが、和名にそぐわぬコート類の舶来品であったために、カスという「汚名」を着せざるを得なかったというべきなのでしょう。

  ちなみに私がなぜこのサメが好きになったのか。多くの図鑑では背中側の絵しかなくエイっぽい姿しか認識できないのですが、実物を真正面から見るとこれまた愛嬌のある顔をしているのです。(Sharks of the world という図鑑でカスザメの正面顔ダイジェストが収録されています!)

真上ばかり見ているようで正面も見えるカスザメ。鳥羽水族館にてHaie撮影。 
 

 私はもちろんステロタイプのサメ、サメらしいサメも好きではあるのですが、サメらしくないサメであるカスザメもまたサメであるという事実が「サメ」というカテゴリーの魅力であると私は思うのです。

 サメを好きになるということは、何か偏ったサメに肩入れするのではなく、その多様性を味わう器でもって好きになるのでなくては、真のサメ好きとは言えないと、思ったりもするのです。まぁ、あくまでHaieという個人の感想です。

 カスザメはそんな代表格。もし水族館で見かけたら、地面に目線を合わせて、愛嬌ある顔を楽しんでもらえれば、サメという生き物の愉快さが伝わるのではないかと思います。 

@Haie

サメの百人一首「Shark」に一首、次回は更新できればよいなぁ。

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