(はじめに…この記事は、2016年5月21日に天保山で行われた対談に関するレポートです。記事は未完成ですが、公開いたします)
大阪の港に、日本の若き希望の星を乗せてある船がやってきました。
その名も望星丸(ぼうせいまる)。
東海大学が誇る1777トンの海洋実習船です。東海大学海洋学部の学生は、この船に乗り海を学ぶ実践の場として航海を経て大きく成長する、そんな人間育成の場でもあります。
今からおよそ20年前、17歳の私は東海大学の学部案内を眺めながら、この船に乗って自分も海へと旅立つことを夢想していました。
残念ながらその夢は叶わず、私が望星丸を初めて見たのは、その数年後に東海大学海洋科学博物館へ訪れた時で、今は展示物として置かれていた先代の船でした。
そんなかつての憧れが、時を経て大阪港で私の眼前にある。
…思いはよぎりますが、私のお話はさておき、 停泊しているこの船に乗る目的は、比類なき生き物好きであり先駆的研究者でもあるお二方、サメ博士・田中彰教授と、海遊館・西田清徳館長のトップ対談を拝聴するためです。
私がこのイベントを知ったのは、海遊館HPで募集する一般公開イベントの一覧からでした。
2月のサメイベントで味を占めた私。海遊館は訪れて楽しい水族館であると同時に、参加して楽しい水族館でもあることを大いに感じ、イベントキラーになりつつあります。
そこで見つけた「望星丸」の文字。
あの船が大阪に来る。申し込みはFAX。日程を確認し、ネットでPDFをダウンロードし手書きで即送信。後日、申し込みの確認電話を受けました。(参加費は無料でした)
地下鉄大阪港駅からいつもなら最後の交差点で左へ歩みを進めるところを、今回は直進し、波止場の岸壁へ向かいました。
大阪港の岸壁に「T」の青いロゴも眩しい白い船がそこにはありました。
乗船前にマーケットプレイスの外階段から、望星丸をフレームに収めました。
大型の救命艇も装備し、世界の海で観測をする調査船でもあり、海に携わる若き星々を擁するにふさわしい偉容でした。
今日は一人の生き物好きのオッサンとして、憧れの船で語られる生き物談義を伺うことに相成りました。でも心は、生き物好きの少年を携えてここに来たつもりです。
乗船受付を済ませ、若きクルーたちが出迎える船に乗りました。
物見遊山したいところですが、今日は正式な見学日でないため、誘導の通り歩みを進め、階段を下りていきますとやや天井の低い食堂と思しき空間に出ます。こちらが会場です。階下では、責任者の方がパンフレットを手渡しで、自由着席の旨を伝えられました。
会場にはすでに田中先生・西田先生の両名が中央におられ、 正面で早々と会場入りしたご一団と歓談の真っ最中でした。
私は少し外れた場所で会場を見渡せる位置へ陣取りました。
入場に気づかれたお二方に会釈しますと、見慣れた顔と気がつき、西田先生は「来ると思ってました」の一言、「はい、来ちゃいました」と照れくさく応じました。
多分趣旨的にはもう少し世代の若い方を念頭に置かれていたと思いますので、私は賑やかし程度で脇座に。会場のテレビモニターには、西田館長のプロフィールが映し出されてました。
今日は講義ノート(サメ閻魔帳)も持参です。私の知の航海日誌に、その内容を書き留めつつ、待機しました。
会場には最終的に、40数名の聴講者が集まりました。
保護者を伴う中高生を中心に小さなお子さん、壮年の方など年齢層は広めでした。
定刻になり、司会の方が、今回のイベントの趣旨を説明されました。(実は昔、東海大学海洋科学博物館サメセミナーでお世話になった学芸員さんでした)
大阪での望星丸寄港にあたり、海遊館と東海大学で一般公開前に何かイベントめいたことを企図した際に、板鰓類研究会(日本サメ学会)でも田中先生と交流の深い西田館長がこの場に快く応じてくださったそうです。
今日は講義スタイルではなく対談、ざっくばらんに生き物を語るということのようで、お二人の生き物好きのルーツから人間臭い面も惜しみなく見せる場を、とこの少し狭い密な空間で内輪話っぽくやりたいとのことでした。いうなればサメ・エイ談話会ですね。
生き物好きの少年のような目の輝きをいつまでも絶やさぬお二人、今日は存分に語られることでしょう。
★いきものがたり、アリジゴクって飼いたくて…。(西田館長の場合)
まずは西田館長の生き物好きのルーツを伺うことに。
幼き頃、大阪の中心部で育った西田少年。遊び場であった小さなお寺の境内、その縁の下で見つけた一つの穴が生き物好きのルーツとなる昆虫の住み処でした。
アリジゴク。つまりウスバカゲロウの幼虫です。
生き物好きの入り口として、ユニークかつありふれた昆虫です。西田少年は、そのすり鉢状の巣穴を観察し、穴を埋めたりほじったりしながら、巣を復元する大きな顎を持つその姿に魅せられたそうです。普通の子どもはここで飽きてしまうのでしょうが、この少年はアリジゴクを捕まえ、自宅で飼育を始めるのです。
飼育を通じて様々な実験を始める西田少年。いうなれば根っからの研究者タイプで、興味と行動を同時に推し進める天才肌なのだとうかがい知れます。
「面白い、不思議だ」と感じたことを突き詰める様は、周りの理解もあってのことだとうかがい知れます。ふつう、自宅にアリジゴクを連れ込んで複数の飼育箱を置くなんて、カーチャンが「汚い・気持ち悪い」と嫌悪感を示して、捨ててきなさいと言われるのがオチです。
子どもは誰しも小さな研究者。 その萌芽が摘まれることなく伸びていけることは、何より大人の理解なくしては実現できないでしょう。
アリジゴク熱もそこそこに、成長した西田少年はカラーテレビ全盛、海外の生き物ドキュメンタリーの映像に魅せられます。
当時、世界中の海で水中映像を撮影していたジャック・イブ・クストー。カリプソ号という船で航海しながらそのドキュメンタリーを提供していたのです。
見たことない海の世界、そしてそこに棲む生き物。
当時流行っていた8mmフィルムカメラで、生き物の映像を記録する真似事を始めます。
ウスバカゲロウの羽化など撮影し、生物映像の記録に没頭していたそうです。
そんな中、映画「ジョーズ」が公開され、そこに登場する海洋生物学者の存在を見て、その仕事に魅力を感じてサメ研究をするという目標を掲げ、水産学部のある北海道大学でその道を歩み始めます。
ジョーズからサメ研究へ。この王道のような展開に驚くとともに、変わらない生き物への興味も保ち続けられる素質が羨ましいとさえ思いました。
でも北大ではいきなりサメ研究を始めるわけではなく、農学系のヒグマの研究という寄り道もしつつサメ研究に軌道修正したそうです。
しかし、サメ研究は先任である仲谷先生がサメの分類学をされており、師事していた教授によってエイの分類学へと導かれたのでした。
当初のサメ研究はこの時点では果たせず、同じ板鰓類のエイの研究者としての道が拓かれたのでした。
そして水族館に携わる人間になったきっかけは、分類学には欠かせない標本の採集からだったそうです。
エイは北海道では一部のカスベなど、実に魚種に乏しいものだったそうで勢い全国でエイを集めに行くことになります。漁船に乗ることもしばしばあったそうですが、当時全国に増え始めていた水族館で入手することを思いつき、欲しい魚種を見つけると「もし死んでしまったら貰えないか」というのちに飼育で関わる人間とは思えない発言をされていたそうです。
水族館からは「死神みたいやな」と悪態をつかれてしまうことも。とはいえ、純粋に研究したいという願いから発せられたものは、伝わったことでしょう。
この方法で入手をするとともに、実際に水族館から漁船に同乗してでの採集を教えられ、効率的に標本採集をすることができたそうです。
そういった縁もあって、地元大阪で海遊館のお仕事に携わるようになったとのこと。
アリジゴク研究から海の映像美、ジョーズからエイへの華麗なる転身です。
西田先生は研究者としての素養を、かなり早いうちに身につけたことと、そういった興味に対してのモチベーションを保ち続けられる飽くなきチャレンジ精神が、この道を歩む原動力になったのではないでしょうか。
★いきものがたり、海から風が吹いている(田中先生の場合)
田中先生は、西田先生より6歳年上でいらっしゃいます。
先生の生き物好きの原体験は、横浜の海岸での海遊びだったそうです。
モニターには、白黒のお写真で、神奈川の観音崎の浜辺でくつろぐ少年が映っていました。
生き物と戯れることももちろんですが、何より海で遊ぶこと、泳ぐことが好きだったと述懐されています。海が好き、自然が好き、探究心と冒険心の旺盛な少年だったようです。
そして年齢とともに高まる知識欲を満たすものとして、当時定期刊行されていた「Reader's Digest」という情報雑誌から、当時珍しい動物の図鑑などを手に入れ、海にまつわる知識や教養を吸収していったそうです。
当時の特集が組まれていた、イルカと会話できる方法などにとても興味が湧いたそうです。
そしておぼろげながら海や動物に携わりたい、そんな思いを抱いたことから漁業などの「水産学」分野ではなく、海洋開発などでより魅力を感じた「海洋学」という分野に方向付けをし当時新鋭だった東海大学海洋学部の門を叩きます。
東海大学は、キャンパスが県をまたがって設立されており、入学当初は内陸の場所で海要素がかなり薄かったそうです。でも水産試験研究所の先生の講義を受けたことをきっかけに夏休みに築地のアルバイトでこの分野の片鱗を経験したそうです。
2年生になり、静岡にある清水キャンパスでいよいよ海とも近くなり、本格的に海洋学を学ぶことになります。
そこでは当時研究され始めた動物行動学の記録研究「バイオテレメトリー」に関わったそうです。
魚類に発信機を取り付け、その行動を調べるという水産と海洋工学の最先端に触れられたそうです。指呼の距離にあった遠洋水産研究所(現:国際水産資源研究所)との共同研究だったそうです。
この動物行動学の研究を、当初の目的であったイルカの研究と結び付け、イルカの鳴き声の研究者のいる長崎大学で研究をしようと思い立ちます。
しかし、イルカの研究を修士の2年では難しいと説得を受け、イカ(頭足類)かサメ(板鰓類)が研究者もいないし面白いからどうかとの誘いを受け、字面の近い「イカ」にはイカず、サメを選ばれました。
どちらにするかを考えるために参考とした、イギリスの王立研究所から刊行されたウバザメの研究報告で、何も詳しいことがわかっていないことに気づき、それならと思い立ったということのようです。
当時ジョーズは未公開。サメをどんなふうに思っていたのか、田中先生はある意味先入観のないままこの分野へと導かれたのです。
田中先生は、お話を伺うに連れて自らの強い意志で道を進むというよりも機に応じて触れたものや知ったことに対して臆せず飛び込んでいく姿が見て取れました。
つまり状況を楽しみつつ、それに対して何のてらいもない素直な学びの姿勢がとても感じられます。それは海をまるごと愛するような懐の深さにも通ずるのでしょう。
お二人は現在進行形で「生き物好き」であるということが、続いて語られた研究活動からもうかがい知れます。
★いきものがたり、Joy,Joy,Joy ハッピーな研究生活
サメ・エイの研究者として、その道のりは「サメ好き」「エイ好き」がそのまま博士になったのではなく、きっかけはある種不本意ながらも、生き物としてのそれらの魅力を十分に感じることができてこそ歩めた研究人生とも言えるでしょう。
お二人の研究成果といいますか、いわゆる面白さを見出した部分のお話ということでさらに対談は続きます。
前段にも触れましたように、西田館長はエイの分類学とともに、生き物の記録映像を撮影するということをライフワークになさっておられます。
海遊館でもビデオの記録が頻繁に展示に現れるのは、こうしたビジュアルに訴えることでわかりやすさと興味を同時に満たせる「優れた展示」であるが故でしょう。
情報の書きこまれたパネルや標本は、もちろん知識欲を満たすには必要不可欠なものであるに違いありません。でもより効果的に視覚に刻み込むこのビデオ映像は、純粋な感動と不思議への共感が得られる点で、実物により近づけるモノであることは間違いないはず。
西田館長が解説してくださったのは、海遊館で捉えられた2つの映像。
サメ類でその行動が知られる「腸洗い」、いわゆる老廃物の溜まった腸の目詰まりを解消する能動的な脱腸ですね。
私はスマスイでツマグロの腸洗いを見たことがあります。異常に速い泳ぎで、腹部からまるでタヌキの八畳敷のようなものがビロビロと飛び出していました。
サメの腸はらせん状に弁が連なりとても短いものです。長ければ多少の詰まりは許せても、この短絡な腸は消化不良などの弊害を抱えやすいのでしょう。
ジンベエのそれは、映像から見るに実に豪快でした。腸の部位が出てきたかと思うと、水中辺り一面が残渣の煙幕で視界不良に。泳ぐ速度は特に変わらず、少し腹部を揺さぶるような動作でした。
巨体は相当なカスを溜め込んでいたのですね。しかし水質悪化になったりしないのでしょうか、その点には触れられていませんでした。
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