2024年11月7日木曜日

ジンベエザメの海くんに思うこと

  私は水族館で好きなサメを見るときに、ここでは命を静かに食べている自分がいると気づかされます。命を得て命は輝く、この摂理を身をもって知る場でもあるのです。


 11月5日、愛媛県宇和島市の岩松川の河口にジンベエザメが迷入したとの報を聞き、よもや自然界で港湾ではなく淡水(汽水)の川に自ら入ることは珍しい、もしや数週間前に放流された個体では…。

 まさかと思い浅瀬にいる映像を見たとき、背びれが異様に垂れ曲がっているジンベエザメの姿を見て、かなり可能性が高いかもと思い始めました。自然下ではジンベエザメの第一背ビレは、水流に負けないようシャンとまっすぐしていて垂れるということはほぼ見られないからです。

(ジンベエザメは頭部など模様でも個体を見分けることができるようです)



 サメを見てかなり衰弱している様子が見て取れ、時間がたつにつれ信じたくはない事実が明らかになりました。先月まで海遊館で飼育されていた個体、海くんであること、絶命した様子であること…。
 なにより日々を生かすことに心血注がれていた、飼育に携われていた方々にとっては大変ショックなことで、誰よりも心を痛めておられると思います。痛み入ります。

 海遊館はジンベエザメの飼育においては日本随一と言ってもいいほどのレベルを有し、1990年の開館当初よりその飼育を経験され、また血液検査を用いた健康管理やアミ類を中心にした時にビタミン剤を混ぜた配合飼料を用いるなど、日々進化し続ける飼育メソッドを誇る施設です。
 また海洋放流された個体の追跡調査を通じて、ジンベエザメの日本近海の回遊ルートの解明など様々な取り組みをされてます。

 水槽サイズの限界前に積極的に放流するという無理のない飼育も謳われたりもしています。(他の園館の名でも「かごしま方式」と呼ばれる手法があります)
 むやみやたらに放流するというわけではなく、そういった個体の成長と向き合いながら飼育環境の限界を踏まえた上での飼育継続条件を課しているのです。

 また海遊館は早くに人や飼育の環境へ慣れさせるプログラムを確立しており魚体に負担のかからない配慮が徹底的にされています。(馴致:くんち、といいます)
 採集は迷入した太平洋沖の定置網からで、その近くの以布利センターという高知県の飼育施設で展示前に人間の用意した環境に馴れた個体のみが大阪へやってくることができ、また運搬も陸路で厳重かつ細心の注意でもって移動をし、見事なまでにスムーズな搬入を実現できています。


 つまり人間の飼育環境への適応をアシストする確立された流れがあるのです。
 ただ逆の考えをすれば人間の飼育環境に馴れやすければ馴れやすいほど、自然下への放流・野生化へのアシストもまた課題となるのです。
 いずれ放流する、展示をしなくなった個体は、外洋での遊泳に問題がなく、自力摂餌(自分でエサを得ること)の兆候が見られれば放流することは、そこまでためらいはないとも言えます。

 飼育が5年程度に対して、放流時は1か月も要さないということは野生化のスピードととしてはいささか厳しいものがあったのかもしれません。あるいは気象条件や水温の変化など、この辺りは検証を要する課題だと言えます。

 ジンベエザメが自然下でどのようにエサを探索し、外洋の強い流れに負けないような肉体を維持しているか、詳しい記録も研究もほぼありませんので、先に紹介した放流後の追跡調査プログラムなどはこの点を補う意味でも有意義な取り組みと言えます。

 海遊館は過去に似たような、飼育から放流への経験を有しており、初めてのことでもないのですが、個体差や環境条件を勘案してみつつ、どのように元の自然へ馴れさせる放流プログラムを確立するか、一方でまだ実例は非常に少ないです。
 これらは、はっきりいって手探りのようなものです。過去にはきちんと回遊ルートをたどったサメもいるので個体差もあるでしょうし、今回の件はまだ一概には言えないというのが真実ではなかろうかと思います。ただ絶命した個体を引き取られ、解剖などを通じて知見を得られることを願うばかりです。

 ですから私を含め観覧する側である人間は、このような取り組みをもっと知って、海遊館がジンベエザメをはじめとする命と常に向き合い、日々研鑽と試行錯誤の中で飼育されていること、そしてその中から知りえたことを我々に発信されていることに改めて敬意を表したい。
 海遊館のこれまでを見ても、飼育においても命に絶対はなく、よりウェルフェア(充実した環境・手法)を追求されることに疑う余地はありません。


 観覧者は目の前にある命を当たり前と思わずに、できれば想像力を働かせ、生き物へのまなざしをあなたの中に宿していただきたい。
 これからも海遊館を巡るとき、あの長いエスカレーターを登り切ってフロアを下って深く命の輪を巡る体験をした時、たどり着いたその深い水の底で奇跡が重なり合って生まれた自分の存在と生き物たちとを想像してみてほしいのです。

 命はまためぐる、と。



2023年8月4日金曜日

サメマニアはサメに食べられることを望むか?

 人食いザメという迷信を信じる人たち

 サメ好き、サメマニアと呼ばれる人々には、グッズ集めなどのライトな方々から解剖や標本作りにいそしむコアなファンの方々までいらっしゃいます。

 そんなマニアの究極形態を考えた時によく言われるのは、

「サメに食べられることを望む」

 という言説で、ある種サメマニアではない方々の思い至る結論のようです。

 実際にそんな考えのマニアがいるとしたら、その方はサメを本当に愛する人ではないと私は断言します。

 なぜなら、サメを本当に愛し知り尽くした人物であるならば、そんな短絡的な結論でサメ好きを昇華するなんていう下らない発想に至らないはずです。

 サメは世界に500種以上いることが知られていますが、人間を襲う可能性のある種は5%にも満たないだろうと言われています。さらにいえば致命傷を負わせられる種は10種にも満たないでしょう。

 人間が海にただいるだけで襲われる種は、恐らくほとんどないと思われますが、サメに刺激を与えた場合なら(音やニオイ)接近される可能性は高まり、水中でエサかどうかの判定の末に攻撃されることになります。

 エサとして攻撃されるわけではなく、エサかどうかの判定で攻撃されるとは何か?

 サメは、かなり用心深い生き物でもあり人を見たら逃げてしまうことの方が多いと経験を積んだダイバーは知っています。

 故に、近づくということは空腹状態、エサを探索している状態ですと、口に入るものをエサかどうか試し噛みをすることで、 味によってその後食べるかどうかを判断するのです。

 サメがぐるぐると獲物の周りを旋回するのは、用心深く観察している最中でもあるのです。大型のアシカやアザラシを襲うようなサメは、相手が弱るまで追撃をしないものもいるようですから、反撃を喰らうリスクを恐れず一発で致命傷を負わせるような危険な賭けはしないのが普通です。

 ただサメが攻撃する好条件、例えば水が濁っていたり、日が落ちて視界が不良だったりすると、サメは積極的に狩りへと転じます。なぜなら、相手から自分の姿を悟られる心配がないので奇襲をかけやすくなるためです。

 話はそれましたが、サメは本来積極的に人間を襲う生き物ではないはずなのに、そのサメへの歪んだイメージを肯定するようなことを真のサメ好きはすべきではないというのがサメが好きな私の考えです。

 「サメがただあなたを傷つける存在」と貶める行為であり、これははっきり言って本当にサメが好きな人間の至る発想ではないと断言できるでしょう。

 サメを歪んだ眼差しで見ているからこそ生まれる発想であり、これは[サメ好き]ならば絶対に避けなくてはならない行為なのです。

 サメの素晴らしさ、生き物としての高尚さをサメ好きならば高らかに謳い上げるべきです。サメというものが含む、バリエーションの豊かさ、神秘性、他の生き物にはない洗練された部分、世界でサメを信仰の対象にするようなカルチャーを見れば、自分を生贄にするなんてことがどれほど愚かしいことか、考えを振り返る余地はいくらでもあります。

 仮にも4億年の歴史を携えた生き物がたかだか400万年(100分の1)ほどの猿の延長線上でしかない動物に自分からエサになってもらうなど片腹痛い行為です。

 かつて小説「JAWS」を著したピーター・ベンチリー氏は、映画化された作品によって人々のサメ観が相当に歪められたことを非常に後悔し、晩年はサメの保護活動や啓蒙に力を入れた活動をされていたそうです。

 これは懺悔なのでしょうか。

 否、それはサメを真に知ることの方がサメによって恐怖を生むことよりも価値のある行為だと氏が気付いた故のことでしょう。

 私は、過激な保護活動を支持しないサメ好きですが、サメを知ろうとする、知らせようとすることそのものを否定はしません。もしサメに対して間違った行為をしているのならば、それはサメをまだよく知らないが故の過ちとでもいうべきもので、「まだ私はサメのことをよく知りませんよ」という謙虚さに欠けた行為だと自覚すべきなのです。

 私など研究者でもなんでもない、マニアの端くれの端くれみたいなカスですが、それぐらいのことは分かっているつもりです。

 サメをまっすぐに見ることはさほど難しくはないのです。サメの魅力に気づいてサメと対等でいようとすれば、同じ生き物として接しようとすれば、自らサメに肉体をささげることが愚かだと、すぐに至る結論ではないでしょうか。

 

 サメが好きならばサメを食べないのでは?

 またサメ好きが「サメを食べる」行為と比して、ネコ好きはネコを食べない、と言った言説にも触れることがあります。

 サメは愛玩動物でなく、家族でもない、なら「食べちゃいたいくらい好き」 な行為にも思えますが、サメ食は人類起源にも遡れるほど歴史があり、特に日本では全国でサメ食文化があることからも、人間にとって価値を見出された生き物であると示すことができます。

 サメとヒトとの関わりの起源を知る行為なら、むしろ積極的に食べるべきなのです。

 もちろん、食文化を知る行為と種の維持そのものは相反する部分が存在しますが、価値を見出さないことによっておこる弊害の方が、サメにとっては深刻であるのです。

 サメ肉などを活用しないで海のゴミとして処分されることを皆さんはご存知でしょうか。

 価値のある魚だけを取る漁業は、経済性から見れば魚価がつかないサメは、ただの産廃なのです。肉は適切な処理を行わないとアンモニアを含んだものへと変わりやすいため、手間がかかるのですが、水揚げしても練り物にしかならない扱いのサメは、一部の加工地を除けばかさばるゴミでしかないのです。

 そうすると、ゴミは正確な数を知るためのカウントから外れ、サメ自体の生息数への認識も不確かなものにならざるを得ません。

 つまり価値のある魚であると扱われない限りサメは、いったい多いのか少ないのかさえもわからないということになります。

 またフカヒレだけを得るフィニングとよばれる行為も、国際的な取り決め(ワシントン条約など)で禁止されています。 禁止することでサメを守ろうという非常に良いことのように思えるのですが、フカヒレのブラックマーケット化を促し、サメそのものを忌避する漁業の在り方を進めてしまうことにもなりかねません。

 サメを知る手がかりを失うというもろ刃の剣とも言えるでしょう。学術的な調査がそれを補うためにはかなりの重荷となるはずです。

 私は乱獲(オーバーキャッチ)も混獲(バイキャッチ)も肯定はしません。

 ただ、無意味に採る行為、捨てる行為そのものに問題があると考え、捕れたからには利用を、過剰な漁獲は、方法が適切でないとの見直しをすべきなのでしょう。私は漁業に携わる仕事をしたことがないので、空理空論の類かもしれませんが、少なくともサメが漁獲物として扱われない限りは、資源云々という俎上にさえ上がらない段階ではないかと思います。

 ※     ※     ※     ※

  サメの保護論に話はそれましたが、もしサメを守るために自分の命を犠牲にするなどという考えがあるとすれば、 あなた自身によってサメを守れる可能性を否定することになります。

  サメを美しいと思う時、あなたの心も美しいと私は思います。サメを尊いと思う心があるなら、あなた自身も同じくらい尊いのだと言えます。

 あなたがサメに思いを巡らす時、サメもあなたへ思いを巡らせていると考えます。

 それは食うか食われるかという価値以上に、サメが私を見て何を思うか、ということを感じられれば、 自分自身の鑑となるでしょう。

 私自身、サメに食べられて死ぬなんてまっぴらごめんです。

 ただ土に還りたいとは思っています。自分をまた自然のサイクルへ戻すことができれば、私の命は全うされるでしょう。

 でもサメを残酷な生き物のように見せる行為は絶対にしたくはありません。それがサメ好きならまず最初にたどり着く結論だと、そう難しくない思考がもたらせるはずです。

 私の肉体が自然に還る時、土を経て水に至り、生命へ及ぶのならそこにサメはいるはずです。 そんな想像力さえサメは私に与えてくれます。

 ただ私は海の中でサメと対面することが怖いです。食う食われるの恐怖ではなく、地上にいる度の過ぎた生命を彼らの下へ晒すことへの恐怖とでも言いましょうか、出来るだけシンプルに生きるプレデターとしての存在に圧倒されることへの畏怖です。

 でもいつかは海の中で出会ってみたい。決して近くでなくてもいいから。   

2022年3月19日土曜日

サメ研究者 後藤友明先生を悼んで(サメコラム再掲)

 2022年3月17日、岩手県三陸沖でホヤの研究調査のため出港していた漁船が難破し、乗船されていた3名の方が厳寒の海で命を落とされたとのニュースがありました。大変傷ましい出来事です。

 こちらの遭難者に岩手大学の水産研究者である後藤友明先生の名があり、大変ショックを受けております。後藤先生は他ならぬ「板鰓類(サメ・エイ類)」の研究者でもあり、かつて私がシンポジウムなどでお話したことのある先生なのです。

 およそ15年前、サメ・エイの研究会「日本板鰓類研究会(JSES)」主催によるサメイベント「サメ祭」が静岡県の東海大学海洋科学博物館で行われた際、その演者のお一人としてテンジクザメ類のお話をされたことがきっかけで、後藤先生を知ることになりました。

 他の演者の先生がグラフや白黒模式図での発表をスライドで行う中、一番若い後藤先生が生きたサメのカラー写真や色つきの図解でプレゼンなさっていたのが際立ち、同行していたサメマニア諸氏も絶賛の発表でした。

 1泊2日のプログラムで、講演後にエポーレットシャークの胸ビレの輻射軟骨と基部の柔軟性について質問し、直接興味深い話をお聞きすることができたことを覚えています。

 ずいぶん前のお話で、記憶がよみがえると同時に急逝の報が信じがたいです。

 2013年の海遊館シンポジウムでも、私がなくした鍵を会場で拾っていただいたりしたこともありました。運営スタッフとして会の実務に関わられているのだと強く印象を受けました。

 また海遊館発行の図鑑「黒潮の海」への寄稿や科学雑誌「遺伝 軟骨魚類のふしぎ」でもサメ研究者として骨格構造に言及された論文を発表されておられました。

 ブログで取り上げる話題としてふさわしいかと悩みましたが、過去の記事(旧サイト Haieのナカミより)を再掲することで先生の研究の成果の一端を知っていただけるならとかつてのコラムをここに記します。当時の通り、1つの講演を2部にわたって紹介しています。(肩書は当時のままです)

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2007年9月16日 (日) ※掲載年月日 

★「サメの進化と多様性 テンジクザメ類」
     岩手県水産技術センター 後藤友明先生


 今回、演者を務められた先生方の中で、ほとんどの方の名前を存じ上げていたのですが、恥ずかしながらこちらの後藤先生だけはノーマークでした。
 しかし、今回の演者の先生の中で、恐らく一、二を争うぐらいサメについて「熱く」語ってらしたように思います。言葉の端々から「この方は、本当にサメが好きなんだな」という愛情がアリアリと伝わってきました。
 このお話は先の田中彰先生の講演上でも述べられた進化と種類の話が前段となり、参加者の方々の話の飲み込みはスムーズだったように思います。
 
 後藤先生のスライドは画像が非常に多用されていて分かりやすく、サメの起源とサメが持つ種の多様性についてテンジクザメ類という少しマイナーな分類のサメたちを取り上げられました。

 まずはサメの起源のお話から。サメは一般的に4億年前のデボン紀(魚類の祖先が繁栄した時代)に生息されていたとされる「クラドセラケ」がその直接の祖先だそうです。しかし、それ以前のオルドビス紀(三葉虫などが繁栄した時代)からも進化の形跡が見られるとのこと。
 ”サメの祖先はデボン紀から”という固定概念があった私はちょっと興味が湧きました。初期のサメは2億4千8百万年前に登場し、今のサメに近い種類はそれから6千5百万年前(恐竜大繁栄の時代)にほぼ出揃ったといえるそうです。恐竜が巨大化し絶滅する中、それを掻い潜って今に至るのだと思うと、彼らは実にロングランな高等生物として歴史と由緒をたずさえているといえそうです。

 さらに大陸移動の際に海の形が変化したことによって、それまで狭い範囲でしか生きていなかったサメが外洋性の適応を行い、巨大化・捕食の高度化が始まったというお話もされました。それまでのサメは割と小型であったそうです。
 さらに深海への適応では、ツノザメの仲間とメジロザメの仲間でも共通性が見られるなど違った分類のサメがあらゆる場所に進出している一端を解説されました。

 さらに、サメのことを紹介する際に良く引き合いに出される「サメは古いタイプの生物」とか「サメは進化していない原始的な生物だ」といった内容をよく聞きますが、後藤先生は「サメは早い段階で独自に進化を遂げた」のだとおっしゃられました。これが今回のお話の重要なポイントです。
 そして、このお話の流れから「テンジクザメ類」の種の多様性のお話へ展開していきます。


 サメの境地を開く天竺への道 パート1

 

「テンジクザメ」と聞いてピンと来る方はあまりおられないはず。でも「ジンベエザメの仲間だよ」というと、サメを知らない人でもある程度分かるはずです。

 しかし、後藤先生は多分「一般人」ではほとんど区別がつかないテンジクザメ目の7つの科(5つとする研究者もいるよう)について、ご説明くださいました。
 テンジクザメの仲間の共通の特徴についてはサメの中でも、背びれは2つでそこに棘はなく、エラ穴は5対で口が目よりも前にあるといったことなどが挙げられます。生息場所も、"天竺(てんじく)"の名のとおり、インド洋や太平洋南部インドネシア周辺の暖かい海の比較的浅い底にいるといった共通項があります。

 まずはそのひとつクラカケザメ科の仲間。私も名前は知っていましたが、特徴を聞かれても『?』な、種類でした。しかし、このクラカケザメにはサメの中でも特殊な器官を持っているのだそうです。

 非常に分かりにくいのですが、ちょうど目のある位置の腹側に近い部位に「ヒゲ」のようなものがあるのです。
 それでそのヒゲは何の役割があるのか?というと、海底にいるエサとなるエビやカニがいるかどうかを調べる触角のようなものだそうです。

ヒゲには神経も骨格も通っているのですが、ちょうどヒメジという底性魚のヒゲと同じようなものだとおっしゃっていました。(右写真:顎に二本の触角のようなものが見える)



  海底に棲むサメとしての適応と進化まずは一つ目。

 次に、オオセという変り種のサメについてのご紹介です。オオセにもクラカケザメと同様、口の周辺にヒゲのように見える肉質突起が沢山生えています。特にアラフラオオセという種類は無精ひげのような様相です。(右写真)

 で、このヒゲはクラカケのヒゲと同じなのか? いや違うのです。特に神経や骨格もないただの肉のたるみ。つまりは、ヒゲが海藻などを真似たエサをおびき寄せるための仕掛け。ここに潜もうとした魚をバクッと食べてしまう、ちょうどアンコウのヒゲと同じだと先生は解説されました。他種との比較は非常に分かりやすくていいですね。



サメの境地を開く天竺への道 パート2

歩くサメ、エポーレットシャーク

 ちょうど去年(注:2006年)の今頃、オーストラリア周辺の海を調査した環境団体が新種と見られる海洋生物を発見し、そのニュースが世界中を駆け巡りました。
 その中で、新種と見られる『歩くサメ』が見つかったなどというトピックがありました。その歩くサメの仲間、エポーレットシャークの紹介です。

 エポーレットシャーク、実は以前に油壺サメ展のレポートでも取り上げたことがありました。→コラム第七十九回(サメ展での歩行動画)

 一般の方が思い浮かべる怖いサメのイメージからは程遠いくらいに愛らしいサメです。以前のコラムをご覧になられた方は、お分かりになると思いますが実に器用にひれを動かして歩くことが出来ます。これは、複雑に入り組んだサンゴ礁で自在に動き回れる行動力の獲得をした、すばらしい適応だと言えるでしょう。先生はこの仕組みについて骨格の構造をご説明くださいました。

 テンジクザメのほかの仲間、例えばイヌザメや別系統のメジロザメ目の似たような環境に住むトラザメなんかの胸ビレや腹ビレの構造とは全く異なるそうです。彼らも比較的浅い海の岩礁などにすむ種類ですが、泳がないときに海底に着地した状態を保つヒレではあっても、それを歩行へ導く動きは出来ないそうです。

 これはヒレのつなぎ目をなす部位()がイヌザメなどではパタパタとしか動かせないのに対し、エポーレットシャークの場合はグリングリンに方向が変えられる上に丈夫で、接地するヒレの縁は柔らかく、クッションの役割をしているそうです。
 陸上競技で言うところのクラウチングスタートのように体重を瞬発力に変える「溜め」が出来るということですね。
 
しかもエポーレットのすごいところは、感覚器官をも環境に適応させたことです。サメならほぼすべての種類に見られる「ロレンチーニびん」。生き物の発する微弱な電位を感じる器官ですが、これが普通のサメなら頭の周辺部だけに点在しているのがなんと、体の真ん中ぐらいまで広範囲に分布しているとか。
 頭だけでは探す範囲が頭打ちなので、体の側面に分布させて指向性を広げたのです。シュモクザメが頭部を扁平にしてその数を増やしたのに対し、エポーレットは細長い体半分をセンサーに変えたというのですね。

いざ大海原へ! グローバル化した甚平どん

  冒頭でテンジクザメ目を紹介する際に、ジンベエザメを引き合いに出しましたが実はジンベエザメはテンジクザメ目の中ではかなり独特のサメ(1科1属1種)だそうです。
 他のテンジクザメの体長が1mから大きくても3m前後なのに対し、ジンベエザメは世界最大の魚類とも言われるように13mほどにもなるといわれています。すむ環境も全く異なり、岩礁などの浅い海をはって泳ぐのが大多数であるのに対し、ジンベエザメは世界中の温かい海を回遊しています。

 後藤先生のお話では、ジンベエが他のテンジクザメの仲間と違って発達した部位については、まず目が頭の両サイドに移動したこと、つまり広い視野を得たということですね。そして、顔の幅も大きく広がったこと、これはシュモクザメの頭部のように浮力を得るためだそうです。同時に体の骨格も、回遊するために細部にいたるまで丈夫になり、尾びれなどに見られるように泳ぎが得意な体つきになっています。
 そして、繁殖に関しても広い海での少ないランデブーを生かせるように多産になり、他の大多数が卵を産むのに対して、子どもを産むようになっています。

 細々と商売する古式ゆかしい天竺屋を飛び出し、新しい時代に誕生した甚平屋は、グローバル化の波に乗って世界進出し、大成功した大企業のような存在なのでしょう。
 大海原で、カツオの群れを率いて悠々と泳ぐ様は、広い海がもたらすロマンを見せつけられるようでもあります。

 ちなみにこの「ジンベザメ」「ジンベザメ」とどっちが正しいの? という話をよく聞きますが、一応魚類学会さんの規定する標準和名では「ジンベエ」が正しいようです。まぁ、日本語の発音からしてどちらも間違ってはいないので、あまりこだわらなくてもよさそうな気もします。
 名前の由来のごわごわした「甚平」羽織だって、戦国時代の「陣羽織」が訛ったとかいうくらいですから。まぁ、どっちでも「エ」「イ」じゃないか。

 後藤先生も時間枠を超えて熱くサメの魅力を語ってくださいました。私のようなマニアに限らず、この話でサメの魅力を感じた方は沢山おられるのではないでしょうか。同席していたReal Blackさん(注:サメマニア「Good Anatomy」というサメサイトを運営)も「すごく面白かった」と感激されてました。
 テンジクザメの仲間は、イヌザメを始め日本の水族館にはたくさん飼育されている種類ですので、注意してみると実に面白い発見が出来るのではないかと思います。

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以上が、かつて私が公開していたイベントのコラムです。生き生きとサメの魅力を語る後藤先生の姿がありありと思い出されます。

 サメ祭の夜会で秘蔵のサメ画像や動画を披露してくださったのも後藤先生でした。

  一介のマニアですが、調査中の事故で亡くなられたことについて本当に残念で仕方がありません。好きなサメの研究をおいて、今は岩手県立大学の教授として研究室を持たれていたとのことですので、東北の水産研究を担う若き研究者であったことを思うと私ごときが先生を惜しむのは僭越であると思います。

 ですが、せめてサメ好きとして過ごした時間を思い、哀悼の意を表します。



2021年3月28日日曜日

近鉄終着駅の水族館、志摩マリンランド営業休止によせて 

※掲載写真はいずれもHaie撮影によるものです。転載不可

 伊勢志摩エリアには、『水族館』と呼べる3つの施設があります。

 ひとつは鳥羽水族館。ラッコブームの立役者でもあり、また順路を廃止した新たな取り組みで復活を果たした飼育種数日本一を標榜する巨大水族館です。

 ふたつめは、夫婦岩に近い伊勢シーパラダイス。魚類の展示よりも海獣類や陸生動物とのふれ合いを前面に押し出した、パフォーマンス特化の癒し系水族館ともいうべきでしょう。


  そして三つめが近鉄の終点、賢島にある「志摩マリンランド」です。フンボルトペンギンやケープペンギン、マンボウの飼育をメインに打ち出しています。

 

 開館が昭和45年(1970年)ということで、上記2施設の中で最も古いと思いきや、実は設立は一番新しいのです。(鳥羽1955年、伊勢1960年)

 こちらは近畿日本鉄道が親会社となって運営する水族館で、伊勢神宮へ行幸になる皇室関係者も訪れたことのある事績があります。

 しかしながら先日、長く慕われてきたこの志摩マリンランドが、設備の老朽化を理由に2021年3月末をもって営業休止という発表がされました。

 新型コロナウィルスの流行で観光レジャー産業が窮地に立たされる中でのニュースでもあり、非常にショックを受けました。

 私が生まれて初めて見学したのは、京都大学付属白浜水族館。小学校低学年の私にはとても暗くて怖い場所で生き物を楽しむどころではありませんでした。(こちらが無脊椎動物メインだったのも理由かもしれません)

 もう少し時間がたち、小学校の臨海学校で見学したのがこの「志摩マリンランド」であったことはよく覚えています。暗い怖いイメージしかなかった私が、「面白い!」と感じられたのが同館でした。

 そして私が初めて触れたサメが、こちらのタッチプールにいた可愛いネコザメで、ごつごつザラザラした感触は、のちにサメマニアとなる私の原体験とも呼べるものでしょう。(その後、海遊館開館で真にサメに目覚めるわけですが)

             タッチプールではトラザメの産卵も見られる

 成人してからもサメ好きとして伊勢志摩エリアでは注目の施設と考えていて、年に一回は訪れていたと思います。(恐らく鳥羽水族館よりも回数は多いはず)

 上記2館のサメ展示は、伊勢シーパラダイスは訪問当時ドチザメonlyで再訪問対象を外れ、鳥羽水族館もサメ専用水槽があるものの、規模が小さめで少し物足りない印象で(サメ特別展などは素晴らしいのです)、志摩マリンは思い出補正とレア種の展示で、近鉄特急直結の終点至近という利便性も相まってそのような位置づけで訪れていたのだと思います。

 私がかつてサメマニアとして発信していたホームページ「Haieのナカミ」の水族館紹介ページでも「伊勢志摩エリアでサメを見るならココ」と推薦をしていました。

 サメ推しの私が、同館に注目していた理由は、「レモンザメ(かつていた)」「ヒゲツノザメ(鳥羽にもいます)」「ハナカケトラザメ(他、大洗のみ)」などのあまり飼育園館がない種がいたことです。

ヒゲツノザメとハナカケトラザメはレア!

 ハナカケトラザメは、ヨーロッパにしかいない種で、古くは海外交流で得たものが園内繁殖によっていまも継世代飼育されているという特筆すべき点があります。

 他にも「ネコザメ」「トラザメ」「イヌザメ」「ドチザメ」「シロボシテンジク(テンジクザメ)」「コモリザメ」と、地味ながらちゃんとサメが見られる点で気合を入れずにのんびりゆっくり楽しめる雰囲気がありました。

 オールドタイプの水族館をいい感じに残しているユルさが、私好みでした。

 コロナ禍ながら久々に訪問をしてみましたが、観光地のファミリー層にはドンピシャな需要を拾えていたことは間違いなく、メインではないにしてもそれに準ずるコンテンツであったことは閉館発表後連日の駆け込み需要が物語る部分ではないかと思います。

 前段で述べた他の施設は、その後に方針転換と設備更新を行い、需要を拾うことを模索し続けていました。経営が順調ではないにしても根強いファンがいることから、観たいものを見せてくれるという要求に答える結果がそこには出ていた気がします。

マンボウは4尾同時飼育。日本では有数。

 翻って志摩マリンランドは、「いまあるものを見せる」という、よく言えば堅実、反面色気(注目を惹く何か)のない、時代から少しずれを感じる部分があったのかと思います。

 あと批判的な情報にかなり敏感な体質も感じ取られ、一定の枠内で話題を広げることはできても、突き抜けた部分ができにくいこともまた観覧者としては物足りない部分ではあったと思います。

スタッフによる手書きのイラスト。かなりお上手。

  もちろん、施設自体はとても楽しく家族連れが安心して見せられるコンテンツという、需要には間違いなく答えられていたでしょう。他方でペンギン列車という、列車内でペンギンと触れ合える企画など、一風変わったサービスも行っていました。

 学びとレジャーの両立、バランス感覚が十二分に発揮できていた、だからこその閉館前の最後の思い出にと訪れる人が後を絶たないのです。

 古き良き水族館と、言い成せる部分もありますが一方で水族館という施設の役割が、一企業の事業では止まらない発展もしてきた部分があります。

 例えば地域文化情報の発信や博物展示の部分ですが、志摩マリンランドはかなり標本や解説展示がしっかりしています。 学術施設としては、近隣の水産高校と連携して地域の魚類調査などの協力を果たし、教育の面もかなり貢献されていたことが分かります。(ニュースではそういった関係者からの惜しむ声が後を絶ちませんでした)

地元水産高校生による展示コーナー

真珠養殖の盛んな志摩ならでは
 また伊勢志摩地方の文化情報、海女の実演や真珠貝の解説なども他館では見られないものです。(真珠それのみを扱う施設は他にも存在しますが併設はここだけ)

海女の実演餌付け 

 事業の終焉で水族館が蓄積してきた飼育や採集のノウハウなど、ソフト面の散逸が誠に惜しい部分ではあります。マンボウの継続飼育や地元産の魚種展示などは、あまり注目されないですがかなりの充実を感じます。

 数年前にリニューアルを行ったそうですが、小規模なもので根本的な施設改変とまでは行かなかったようです。

 建替えリニューアルという莫大な投資に対して見返りが期待できない故の小規模リニューアルでしたが、延命と呼ぶには少し力が及ばなかったと見ざるを得ません。

 採算の難しい事業を劇的に変えるコンテンツが開館以来育ってこなかったが故の結果なのでしょうか。

 

 昨今の水族館ニューオープンの流れから見るに、衰退産業ではない確信があるものの、「水族館ってこういうものでしょ?」というイメージがかなり以前とは変わってしまった印象は受けます。

 堅実な水族展示以外の部分が観覧者のキャッチ―な需要に変わりつつあるのでしょう。

 私自身、ニュータイプの水族館に若干の違和感を覚えつつも、ウケが良い部分も理解はしています。いわゆる「魅せる展示」です。

 もちろんマニアックなツボを求める少数派もいるのでしょうが、水族館「が」好きな人に合わせる展示でなくて、水族館「も」好きな人に合わせる展示が必要なのです。

 価値があるものをただ見せればよいのではなく、価値があることを気づかせなくてはいい展示ではないでしょう。

 観光特急「しまかぜ」をはじめ名阪直通特急「ひのとり」など鉄道事業では独自のコンテンツを生み出して価値の創出に邁進している近畿日本鉄道ですが、50年を経過して志摩方面での水族館事業の撤退という結果ならとても残念です。

しまかぜや伊勢志摩ライナーの発着する賢島駅は観光ターミナル

  近鉄は、海遊館を子会社化してPRをしていますが、志摩マリンランドとの相互作用が距離も相まって思うように働かなかったかと、推し量るばかりです。

 飼育生物を他の園館へ譲渡する旨の発言を聞き、私が気にかけているサメたち(特にヒゲツノザメとハナカケトラザメ)をまた元気な姿で見られるのかが、最後の希望でもあります。(スタッフの方によれば、各所に「予約」があるそうです。引受先が見つかるまでしばらく飼育を継続する必要があるとおっしゃっていました)

 最期の特別展は、スタッフイチオシ生物の紹介でした。皆さん本当に生き物が好きでこの仕事をされていることがよくわかりました。

最後となった特別展

 (残念ながら「サメ」が好きだというスタッフさんの記述はありませんでした 悲)

 手書きのポップや看板を見ると知識量や情報量がハンパないことが伝わってきます。ただ一つ言えることは、水族館に代わる施設は水族館でしかありえない、のです。

クラゲだけでこの情報量!
 

 もしこのままこの地から水族館が消えるなら、日本有数の私鉄会社が長年続いた自社コンテンツを一つ失うという決断として、他の企業へも重いメッセージ含むことから、私は非常に危機感を持っています。

ミカドウミウシは研究者であった昭和天皇ゆかりのもの
 

 かつて財界にも多くのアマチュア生物研究者がおられましたが、今はそんな教養や素養は時代遅れなのかと思うと寂しい限りです。スクラップアンドビルドで、新しい価値の創出を担える業態だけに経営陣がそういった魅力に気づけないのであれば、いたし方ないのかもしれません。

 水族館をハード面で考えた場合、最低でも数十億と高騰する建設費を回収できる見込みに乏しいのかもしれません。ただ、昔に比べ、フォーマットそのものは完成されているので、中味がどのようなコンセプトで展開されるかがカギとなっていますから、そのヒントとなる50年以上の蓄積の放棄は誠に惜しいと言わざるを得ません。

ホシエイやノコギリエイ(上記)は、かつて最長飼育記録を打ち立てた。

 今から出来る新しい施設が、これから何十年かけて得るであろうものが今ここにある。そこに誰か気づいてほしかったものです。

 私が訪れた日は、日曜日で、あまり大きいとは言えない駐車場にひっきりなしに車がやってきました。

 開館時間9:00から入場制限しつつ、普段見ることのできない志摩マリンランドがそこにはありました。(行列は200人以上いたと思います)

 閉館カウントダウンの館内を観察すると、ペンギンとの近い距離にウキウキする初老の男性、タッチプールのエイのぬめりに驚く若い女性、知らない生き物の解説を熱心に読む少年、二人して熱帯魚を覗き込むカップル、海女の餌付けショーはのぞく隙間もないほど人垣ができ、普段見向きもされない記念メダルに行列ができそこに打刻する音が鳴りやまないという、恐らく夏場のオンシーズン以上賑わいを見せ、みんなが思い出とともに志摩マリンランドをたっぷり堪能している様子でした。 

この壁一面のメッセージを見よ!並みの水族館ではここまでなるまい。

 これを踏まえると、水族館は万人受けするレジャーの王様なのだと、少々古い考えかもしれませんが思うに至るのです。 

 水族館は集客という面で、都市部で展開する施設が有利な状況です。交通の便は必須項目で、志摩マリンランドはいわゆる観光地隣接型の遠隔地となります。しかし一方で、近鉄の特急終着駅というこの上ないアドバンテージがあります。(しかも徒歩2分!)

 観光地型の鴨川シーワールド、京急油壺マリンパークなどはいずれも駅終点ですが、バスを使うなど微妙に距離があります。

 ホテルの林立する志摩への観光客が訪問する施設として候補に挙がるのですが、水族館のボリュームを求める人は前段の施設へ流れて行ってしまう現状も現実としてはありました。

※伊勢パラ(年間20~25万人)、鳥羽(年間80~90万人)、志摩(年間15~20万人) 直近5年間の観光統計より概算値。

 近鉄が生み出した、乗ることが目的、予約殺到の観光特急「しまかぜ」ですが、終点を賢島発着に設定している反面、途中の宇治山田駅や伊勢市駅(伊勢神宮最寄)利用の割合が非常に高いようで、志摩へはほぼ鳥羽駅を境に大半の乗客は降りてしまうのです。

人気列車と言えど、賢島駅上り発車直後はこの様子。(途中駅からは満席だが...)

 無論、近隣の移動が不便で自家用車で訪れる観光客も多いので、単に終着駅という点ではそれほど有利にはならなかったのかもしれません。

 しかしながら、近鉄保有の水族館として、関西の雄「海遊館」は健闘しています。その海遊館も30周年を超え、設備更新の岐路にあると言っていいでしょう。

 私自身が思うのは、30周年記念展で未来の海遊館をイメージするコーナーがあったことから、志摩マリンランドの跡地をうまく活用して新たな世代の水族館ができれば志摩の観光地の地位の復活も見込めるのではという期待です。立地条件が集客のネックというなら、大洗水族館や美ら海水族館などその地を訪れる最大の目的としての存在まで高められれば、大化けする可能性もあります。

古代水族館という化石と生き物の博物展示。変わった試みのひとつだった。

  近鉄の歴史は、そういった逆境からのチャンスメイクがたびたびあります。伊勢湾台風からの名阪直通化工事、新幹線開業後の名阪特急凋落からデラックス特急と低価格路線での返り咲きなど、常に逆境を創意工夫で凌いだ近鉄。今回の閉館も「営業休止」という微妙な表現で発表があったことから、今の志摩マリンランドは消滅することは確実視されながらも、このままでは終わらないのでは? という新たな一手を水族館ファンとしていつか見られる日が来ればと思っています。

 例えば観光特急が海底トンネルを抜け海へつながり、本物の海を堪能しながら水族館へアクセスするそんな子供のような空想を、夢を思い描いたりします。

 古い水族館に多い、壁際に水槽が並ぶさまを「汽車窓水槽」などと呼び慣らしますが、本物の汽車窓水槽ができたらなんて…。遊園地の海底遊覧のようなアトラクションですね。

らせん状の順路に汽車窓水槽が並ぶ

 ただ博物施設としてのウェイトも、列車内でレクチャータイムを設けて解説をしながらムードを高めていく演出も出来そうです。乗ることが目的の列車がそこにはあるでしょう。

 路程でも水族館へのムードを高められるなら、それすら楽しい時間へと変わります。すでに企画されたペンギン列車は、同じテーマを実現した形ですが、その発展形ともいうべき形になるかもしれません。

 例えば6両ある列車(たとえばしまかぜや伊勢志摩ライナー)をイルカ号、サメ号、ペンギン号、マンボウ号など各車両で実物の標本、スマホやタブレットなどで映像を用いて、解説するなどの他に、景色を堪能する時間やビッフェタイムをスケジュール化して車両を最大活用するなんてことも出来そうです。

  車内に水槽を置くことは難しいかもしれませんが、足湯列車なんてものがあるなら、タッチプールつきの列車だって出来るはず。

 乗ることが目的+到着地でも楽しめる、2倍お得な観光コンテンツとして発展の夢は膨らみます。夢のある事業を水族館で実現できれば、再開への布石となると信じています。

 今はしばし、お別れの時間をじっくりと楽しんで思い出に浸ることになりますが…またどこかで会えると信じています。夢への線路は続くよどこまでも。

 51年の思い出を乗せて志摩マリンランドは終着駅に近づいていきます。そして折り返し、未来への方向幕が回る新たな出発を夢見て。

 


 楽しい思い出をありがとう! マンボウのいる素敵な水族館、志摩マリンランドよ永遠に。

@Haie

※新型コロナによる行動制限に従い、衛生用品を携帯・体調管理を行ったうえで訪問しております。

2021年3月5日金曜日

カスザメ(糟鮫)という汚名の由来を考える

 私の好きなサメに「カスザメ」という種類がいます。

真横から見たカスザメ。東海大学海洋科学博物館にてHaie撮影。
 

 恐らく多くの人が想像する「サメ」とはかなり遠いイメージのサメで、平べったい体で砂地の海底に潜り、じっとしているような生活をしています。日本では3種類(カスザメ[学名:Squatina japonica]、コロザメ[学名:Squatina nebulosa]、タイワンコロザメ[学名:Squatina formosa])、世界で計20種が知られています。

 それはまるでエイのようで、サメの特徴でもあるエラ穴の位置がエイが腹側にあるのに対して、からだの側面にあるのでかろうじて見分けがつくほどです。

  そんなカスザメ。サメ全体を大きく8つの種類に分けると、その一角を成すグループでもあります。

 しかし日本語での名前が「アホ!ボケ!カス!」の『カス』そのものなのです。

 ウバザメも「バカザメ」などと呼ばれることがありますが、和名としてではなく別名扱いなので救われますが、「カス」はまごうことなき「カス」なのです。

  そもそも「カス」とは何か。漢字で書くと「糟」。

 酒粕の粕も同じ意味です。「糟」は表記としてはあまり用いられないので通常は「粕」の字を用いるそうです。

 似た種類のコロザメは「胡盧」の漢字が充てられますが、これはコロダイの「コロ」と同じ由来と考えられます。「胡盧」はひょうたんを意味し、南紀でイノシシの子供を「コロ」と言い成し、いわゆる白い斑点がついた模様にこの字を用いるようです。

カスザメに似たコロザメ。名古屋港水族館にてHaie撮影
 

 いずれも模様由来だとモノの本には書かれることが多いのですが、カスザメを実際に水揚げして放置すると、体表にある粘膜がぬめりとなって白く変色し、「糟」のように現れるのです。

  過去にカスザメの標本(ホルマリン固定した) を見た時にはうっすら体表が白濁していたのですが、割と新鮮な解凍標本に接した時に、そのような「澱」に似た粘質の白濁した「糟」を見ることができました。

固定されたカスザメ標本。日本板鰓類研究会主催のサメ祭りにてHaie撮影。

 

 この粘液が分泌されるというお話は、東海大学客員教授の田中彰先生と東海大学海洋科学博物館にて飼育されていた実物のカスザメについて語られた時に聞いたものです。

 

体表にぬめりのような澱が付着したカスザメの標本(解凍のみ)サメ合宿にてHaie撮影。

 
 カスザメは、砂地に潜るという話をしましたが、丈夫な鱗・楯鱗というサメ肌をもつサメでも砂の中の微生物やバクテリアが皮膚から侵入する可能性があるため、保護しなくてはならないのです。胸びれで海底を煽ぐようにバサバサと砂をまきあげ、砂の下でじっと獲物を待ち伏せする姿は、牙をむき出しにするサメとは一風変わった、森の茂みで狙い定める静かなるハンターを彷彿とさせます。

 スキンケアクリームを分泌し、砂による摩擦を軽減し、擦過傷などから体を保護するのだと思います。似たような生態のアンコウやエイ類などでもぬめりとなって体表を保護する仕組みがあることからも、環境に対する収斂進化の賜物です。(かつてカスザメの体表を粉末にした塗布薬もあったそうです)

 確かに、模様も白い細かい斑点であるのですが、どちらかというとこのような性質に寄るところが大きいのではないかと思われるのです。

  カスザメの体表を切り取り、皮標本にしてみると確かに地色に斑点模様があるので「カス模様」と言いたいところですが、やはり表面の「糟」がその由来の大きなものだと感じざるを得ません。

 つまり汚名は、実際にこの白いカスを蓄えた体表にちなんだ生態を示した和名、日本で広く通用する名前として図鑑などでスタンダードに目にするようになったのでしょう。

 日本の場合、多くのサメは地方名という漁師さんが用いる魚名があり、「カスザメ」も恐らくその一つに過ぎないのでしょうが、トンビ、マント、インバ、ボオズザメなどと多岐にわたる名前から敢えて黎明期のサメ研究者がこの名を選んだのには、 生物学的に知見ある呼び方の採用という側面が大いにあったのでしょう。

 ちなみにトンビやマント、インバ(ネス)はいずれも外套の一種で、形を想像させる外形態を示したもので、これを採用するのもよかったとは思うのですが、和名にそぐわぬコート類の舶来品であったために、カスという「汚名」を着せざるを得なかったというべきなのでしょう。

  ちなみに私がなぜこのサメが好きになったのか。多くの図鑑では背中側の絵しかなくエイっぽい姿しか認識できないのですが、実物を真正面から見るとこれまた愛嬌のある顔をしているのです。(Sharks of the world という図鑑でカスザメの正面顔ダイジェストが収録されています!)

真上ばかり見ているようで正面も見えるカスザメ。鳥羽水族館にてHaie撮影。 
 

 私はもちろんステロタイプのサメ、サメらしいサメも好きではあるのですが、サメらしくないサメであるカスザメもまたサメであるという事実が「サメ」というカテゴリーの魅力であると私は思うのです。

 サメを好きになるということは、何か偏ったサメに肩入れするのではなく、その多様性を味わう器でもって好きになるのでなくては、真のサメ好きとは言えないと、思ったりもするのです。まぁ、あくまでHaieという個人の感想です。

 カスザメはそんな代表格。もし水族館で見かけたら、地面に目線を合わせて、愛嬌ある顔を楽しんでもらえれば、サメという生き物の愉快さが伝わるのではないかと思います。 

@Haie

サメの百人一首「Shark」に一首、次回は更新できればよいなぁ。

2020年6月18日木曜日

新型コロナ対策と水族館 再開した海遊館訪問記 2020


水族館ファンとして、新型コロナと向き合う

 世界中でこの未知のウイルスと闘う日常が続く中、日本は3月頃から今までの期間に、この脅威に立ち向かうべく遍く活動を自粛することによって拡大傾向の抑制に今のところ成功しているように見えます。
 衛生観念の正確な情報を得る機会、自主性を重んじながらもそれに甘えない対策という難しい課題を一人一人がそれなりに実践していたのではないかと思います。

 私Haieも春先の水族館訪問やイベントはすべてキャンセルし、自粛モードへ入りました。

 5月25日の緊急事態宣言解除から6月に入り、経済的な日常を取り戻す動きが徐々にあり、自粛一辺倒から行動の選択を考える場面が出てくるようになりました。
 そんな中、各地の水族館も感染対策への準備が整い、一部条件付きでの再開へとこぎつかれました。

 私が特に思い入れのある海遊館もそのひとつです。密閉空間の是非・集客・サービスなど様々な課題を乗り越えてどのような形で再開へと導けたのでしょうか。その訪問録となります。
 
リニューアル&30周年を迎えた海遊館…まさかの事態

 海遊館は、大阪港区天保山に位置する関西を代表するレジャー施設であり水族館です。1990年7月20日にオープンし、今年は30周年を迎えるにあたり、リニューアルとイベント開催など準備されてきたはず。

 しかしお披露目のタイミングとほぼ同時期に「新型コロナ感染拡大」という憂き目に立たされたしまったのです。
 私が最終で訪れたのは2月中旬、当時の状況では接触感染の懸念から、入場制限が改札ゲートで行われていて、年パス保持者でも待ち時間がありました。入館者数は普段よりも若干少ないものの、外国人観光客の減少から日本人の利用者がこぞって訪れていた印象を受けました。
 その後、整理券配布などで対応するも、すぐに休館へと踏み切りました。海遊館の設備上、対応が難しいとの判断だったのでしょう。必要な対策を講じる期間ということでの臨時休館扱いでしたが、感染拡大が収まらず延長せざるを得ない状況が続いていきました。(他館では入館の対応で凌ぐ施設もまだありました)

 水族館は我々が思う以上に、エネルギーを消費する巨大な施設です。つまり日々のランニングコストがとてつもなくかかり、またそれを維持するスタッフの数も膨大なものです。
 それはもし観客がいなくても、生き物を管理・飼育し適切な環境を維持することに変わりはありません。

 休館後もその様子を動画配信する(おうちで海遊館)など、施設としての存在意義を失わないようサービス提供を続けられていました。(私はあまり見過ぎると欲求が高まるので、修行僧のような心理でいました)
 聞くところによると、スタッフも密を避けるため時短+交代勤務を余儀なくされ維持することの難しいミニマムな運営を続けざるを得なかったようです。

 私も落ち着きだしたら、まず行きたいと思ったのが「海遊館」でした。
 そして待ちに待った再開。でもいつものように気軽にお出かけという訳には参りませんので、事前情報をチェックし、体調万全で臨みました。

事前予約と入場制限での対応

 2020年6月現在、海遊館への入場は「チケット予約」のみで対応しており、いわゆる当日窓口販売、コンビニ発券や企画乗車券、招待券などの適用はされず、チケット予約サイトによるサービス(Webket)で人数制限+入場時間指定での受付というものに限られています。(6/17より発売済みチケットの一部を窓口対応するそうです)
 私もHPからWebketの登録を行い、当日券購入者か、年間パスポート保持者で予約方法が異なるため、年パス保持者専用の支払い「0円」予約をしました。
 購入する場合は、各種クレジットカードでのみ支払い可能のため、カードを持ってない方は購入できません。(コンビニなどでクレジット会社のトークンカードを買えば可能かと思われます)
各種コンビニ払いも対応可能なようです。(2020.7.10追記)

 入館時間を選択する画面で10:30~16:45(閉園1:15分前)までが購入できます。5日前から予約可能なので休日などは早めに予約する必要がありそうです。事実私が訪れた日は、大阪港駅や周辺の看板に「本日完売」の張り紙がありました。平日なら余裕があるかもしれませんが、休日は狭き門のようです。5日前に朝一番の10:30が予約できました。スマホで登録したメールに予約情報が届きました。このメールが入場券の代わりになるようです。もちろん年パスを忘れずに。

 雨の天保山、ドキドキの体温チェックをパスで無事入館!

 当日朝は雨模様。衛生用品(マスクや携帯ウエットティッシュ)を準備、体温計で体調に問題のないことを確認してから出発です。
 自宅から海遊館最寄りの大阪港駅までは、休日ながら人出はやはり7割程度の感じで、地下鉄も普段なら大阪港駅まで割と混雑しているはずが座席に隙間もあり、途中の弁天町駅辺りを過ぎると閑散としていました。
 時間指定ということもあり遅れてはなるまいと、30分以上前に現地入りしました。少し離れた天保山の防潮堤が終日閉鎖され、普段と違う景色となっていました。人気のないところでつけっぱなしのマスクを外すと、久々に嗅ぐ海の匂いがいつもより鼻腔を刺激しました。

 入場ゲート付近では、同じ朝イチの予約をされた方が20名ほどでしょうか、屋根のある通路のベンチで思い思いに待機されてました。家族連れ半分、残りはカップルと私のようなマニアが半々くらいでしょうか。雨脚が強まると開場前のマーケットプレイスの庇などへ雨宿りなどする方も。
 時間前にゲート付近の様子を見ますとスタッフの方がテープなどで地面に区割りをし、待機列の間隔を視覚的に見えるよう工夫をされていました。
 開館15分前に整列が始まり出し、私も待機列に加わりました。

 そこで一人のスタッフの方に呼び止められ、入場方法についての質問を受けました。恐らく広報などの方でしょう。(面識はなかったか、もしくはイベントでごあいさつしたことがある方か…?)
 予約での当日券購入と年パス者の割合についての意見を求められました(アンケートですね)。施設側もしばらくは手探りでの運営となるようです。聞くと普段の半分以下での入場者だという話でした。
 恐らく決まった形というよりも柔軟に状況に応じて、人数調整など行うことになりそうです。団体客の受け入れも中止しているので、運営としてはかなり厳しい数字の推移となるでしょう。

 割とスムーズに待機列も徐々に進み、箱型の大きなブースで体温チェックです。全身写しのモニターで体温が表示され、チェック完了。人によっては精度を上げるため別の方法でもチェックは行われていました。
 改札ゲートで年パスと、指定時間の表示されたメールを示し、無事入館です。(年間パスも無条件で4か月期限延長との事)

 入館すると、消毒液が館内に設置されていたので、さっそく手を消毒。看板など少しディスプレイがリニューアルされていておしゃれな感じに。途中カマイルカのホリゾントがソーシャルディスタンスを示します。2m空けて欲しいそうです。カマイルカって2mなんやな。ふーん。
 ミュージアムショップとガイドカウンターのコーナーでは、いつもより少なめのガイドスタッフさんが控えめにお辞儀で歓迎してくださいました。声掛けの案内は極力控えておられるようです。
 また園内ガイドやツアーも休止されており、再開が望まれます。少人数催行ならこの人数でいけそうな気も。ただスタッフの方も普段より手薄なようで、難しいのかもしれません。接触を避ける=接客を避けるというもどかしい状況です。
 リニューアルされたガイドマップ(いままでにない、かなりの充実ぶり)を手に取り、歩みを進めます。

 通路の窓にはスタッフが手書きでペイントした歓迎メッセージやイラストが描かれていて、声に出せない喜びをそこに表現されていて少し胸が熱くなりました。再開への喜びに他の観客も見入っていました。
 気持ちの伝わるプロムナードでした。
 最初の時間ということもあり、館内は少ない観客で快適でした。いつも人でにぎわう水中トンネル「アクアゲート」も、サメ類でいつもいるイヌザメは見られず、ネコザメなどやや控えめな展示でした。魚種も絞って混雑を避ける意図があるのかと。

 いつもは抜けた先でジンベエ模型との撮影がありましたが、そこも撮影サービスは無し。セルフで撮られる方はちらほらいました。自撮り台でもあれば、いいかも。接客の省略はやむを得ません。
 その先のエスカレーターも間隔を空ける注意書きがあります。少ないので意識せずとも前後は空きます。
思えば、海遊館は「ビル」なのです。密閉空間・密集をしてしまう場所なので、そこをどう解消するか、悩ましい部分でしょう。
 大阪港の港湾施設を尻目に最上階へ。このワクワクをこらえる上昇時間は独特の「間」です。空から山へ、そして川から海へ、海から海を自在に回る旅の始まりです。

 いつもの、いきもの。いくつもの、いつくしきもの

 ※この先、館内ガイドとなりますが海遊館への思い入れが強すぎるため、ガチで引かないよう生暖かい目でご覧ください。多分、ベースでの海遊館をキチンと紹介するのはこれが初めてだと思います。リニューアル部分に触れつつご紹介します。
 
 最初のコーナーは「日本の森」。海へと旅立つプレスタートです。コツメカワウソのいる水槽を上からのぞくとまだ体を丸めてお眠り中。平和な日常を垣間見ます。東南アジア原産の彼らをあえて展示することでニホンカワウソがいたかつての日本の原風景を再現しているそうです。淡水魚やオオサンショウウオもいて川を下る様相です。
 ビルの屋上といっても都会のオアシスを感じる空間で、季節ごとに花が咲き乱れとても開放感があります。
 普段は大渋滞のコーナーも、各水槽に一組ずつといった贅沢さ。とはいえ長居するわけにはいきません。少しずつ歩みを進めます。サワガニのいる滝から階段を下り水鳥のいるコーナーへ。カワウソの水槽も少し暗めでまだ準備中のようです。

 川はやがて海へ通じ、海面を漂流する旅へと変わります。かつてラッコのいたコーナー「アリューシャン列島」。千島列島よりさらに高緯度の地域を再現して、歌舞伎の隈取のような面構えのエトピリカが浮かぶ水槽へ。
 マス類も泳いでいて、寒い地域の生態系が再現されています。私たちは海へ下り、太平洋を北から東へ進んでいくのです。

 アラスカ半島を過ぎて、カナダより南へ、カリフォルニア半島の手前「モントレー湾」では、鰭脚類、ゴマフアザラシやカリフォルニアアシカなどが縦横無尽に泳ぐ広めのコーナーへ。半水面では、彼らと目線がよく合います。コーナーワンフロア下では久々の人の群れに、水中から興味深そうに近づいて愛嬌を振りまいていきます。サービス精神旺盛です。  
 特にアシカの鳴き声は、海遊館の屋上から館外へもよく響き渡り「オゥオゥオゥ!」と六甲おろし見たくタイガースを応援するいい声です。本人は「シーライオン」とも呼ばれますが。
 徐々に緯度を下げて、南北アメリカの境、「パナマ湾」です。ここの主は、アカハナグマ。普段警戒気味に木の上や壁際にいますが、今は軽快な足取りで闊歩しています。
 この子にとっては人が少ない方がいいみたいです。以前ガイドツアーでは、赤にちなんだ名前をそれぞれが持っていたと聞きました。「パプリカ」「アセロラ」「リンゴ」などだったかと。
 このコーナーを見て、海遊館は水族館じゃないの?という方もいますが、水族館でもあり動物園でもあり、植物園でもあり、博物館でもある、環境複合総合施設とでもいうべきスタンスです。パナマ湾は海の部分に極彩色の魚がいたりします。階下では先の「グレートバリアリーフ」といつも間違えます。

 しばらく行くと南半球「エクアドルの熱帯雨林」。名の通り赤道直下で多雨な気候で、淡水の熱帯魚が群れています。ここも普段は混雑ポイントです。今回は水槽の全容が見えるほど空いています。ここにはピラニアもいて、同じ水槽にカピバラがいます。●口浩探検隊世代には絶妙な組み合わせでしょうか。
 カピバラも「お、人が来た?」と背筋を伸ばしてこちらを見ます。普段は動きがなくて、毎回収めた写真がどれも同じ表情という、不動のセンターです。

 ちなみに各コーナーの案内板が、リニューアルされコーナー表記のロゴにそれぞれの展示生物が隠れていたりします。写真だった標示も、特徴がつかみやすい線画のイラストへ。あと、地味にコーナーの通路上部で気温や緯度経度の案内をしていた赤いLEDは消灯していました。長年、ベストショットのフレームに映りこむ赤いあんちくしょうは燃え尽きちまったようです。あばよレッド。

 さて次はペンギンのいる人気コーナー「南極大陸」。オウサマペンギン、アデリーペンギン、ジェンツーペンギンがいて、かなり密な空間を演出しています。私の記憶が正しければ、かなり前ここにイワトビペンギンもいた時があったような。記憶違いですかね。
 訪問時は給餌の真っ最中。若い給仕係二名と記録係一名でマスク着用の上、仲良くやっておられました。水槽がいつもしぶき痕で見えづらいので、定期的に洗い流す装置でもあればと思う時があります。塩のもやもやでフォトジェニックなペンギンたちがよく撮影できます。水面を泳ぐローアングルも狙い目です。たまに雪が降ります。半袖で雪かきする飼育員さんを見て涼むコーナーでもあります。

 南極から少し北上してニュージーランドとオーストラリアの境目「タスマン海」。
 ここにはカマイルカがスイスイと角地の広めなコーナーを泳ぎ回っています。水面に浮かぶオブジェと戯れる姿や給餌で少し飼育員の方とコミュニケーションをとる様子などは見応えがあります。たまに飛んだり跳ねたりするらしいのですがショー要素はほぼなし。ショーなどなくても彼らはとても魅力的な生き物に映ります。
 この日は、水槽の前に立つと、目線を合わせて寄ってきてくれました。彼らもサービス精神の塊です。
 イルカたちの歓迎に、どの観覧者もとても大喜びされていました。
 さあ一気に熱帯サンゴ礁の海「グレートバリアリーフ」へ。35万平方kmの世界最大のサンゴ礁を擁する海です。ここは多分35平米ぐらいかと(もう少し広いよ)。
 本館ではここでようやくサメとご対面です。サンゴトラザメとエポーレットシャークがサンゴのオブジェを行ったり来たり。はうように上ったかと思えば、滑空のように滑り落ちていったり、あとのコーナーでも楽しめます。
 このコーナーは地味に潮汐を再現していて、地面ギリギリの水面の時もあれば、中腰で見える時もあります。カラフルな魚も多く、インスタ女子が粘るコーナーです。しゃがんでいろいろ見せないように気を付けてください。(余計なお世話だ!)

 さあ、突き当りを曲がった次のコーナーはお待ちかね。
 おなじみの魚が群れる…「瀬戸内海」です。
 この落差! オーストラリアからいきなり日本! アラフラ海もセレベス海もフィリピン海もすっとんで、
 「瀬戸内海」。
 大阪港、ここは浪速のど真ん中。ツッコミどころを用意し、ボケで豪快にこける演出なのです。
 
 「にほんやないかい!」という、これは予測可能回避不可能なものなのです。気づく人は皆無の、壮絶なボケなのです。以前は対面に「太平洋」の出鼻もあったのですが、混雑解消のためパネルでふたがされています。ここは海遊館長年のツッコミポイントであるのです。
 文句垂れるオッサンの「ここから、うごかへんやないかい、せとないかい」が10年に一度は聞けるスポット。新喜劇のギャグにはならんやろうな。
 ほんで食べたらおいしいタコとかウツボとイセエビの三すくみ。化け物級の大型のアカメも泳ぐコンパクトながら詰まっている水槽では、サメもいます。
 私のお気に入り、「カスザメ」です。砂に埋まるでもなく、ただ海底に寝そべっている平たい彼(彼女?)。
 しつこく撮影するのは私ぐらいと思いきや、普段はけっこう人気があったりして複雑な気持ちになります。
「カッスン(こう呼んでいる)、元気か?」といつも心の中であいさつを交わします。
 たまにヒラメと仲良く、ごろごろしてます。

 で、気を取り直して、メインのこれぞ海遊館!「太平洋」コーナーです。
 5400立米。間違いなく世界屈指の大水槽です。構造もビルの真ん中を突き抜ける十文字型の特殊な出で立ち。
 しかしこの構造が、海遊館を海遊館たらしめるテーマと連動した巨大な海そのものなのです。

 4mを超えるジンベエザメ2匹が、ぐるぐると水槽を巡る様は、逆メリーゴーランド。
 水槽の前に立てば必ず横切る巨体を味わうことができます。
 仰ぎ見る水族館は数あれど、目の前を行き交うジンベエが迫る姿はやはり海遊館の醍醐味です。

 美ら海水族館には8m近いジンベエザメが泳いでいますが、水槽越しでは近すぎて、圧迫感を感じてしまいます。それがイイという水族館ファンもいるのでしょうが、私はやはり目線の合う状態が、生き物を最も魅力的に見られる視点だと思っております。だって目が合うんですよ! あのジンベエと!

 この体験は、インバウンドの方々も感動されるポイントだと聞いたことがあります。私はこの距離の近さが海遊館の魅力の一つだと確信しています。
 そしてもうひとつ、この太平洋水槽の到達とともに、観覧経路はその周りをぐるぐると巡る「環太平洋」をイメージした通りの順路となります。
 途中にはイワシの群れが渦巻く「チリの岩礁帯」。サメファンは思い出深いエビスザメがいたことも記憶に新しいコーナーです。
 さらにウミガメの泳ぐ「クック海峡」、旧「ケルプの森」だったイカを展示する水槽には、マンボウの姿はありませんでした。 最深部に近い「日本海溝」は、タカアシガニを筆頭にサメでは「アブラツノザメ」、サメと同じ軟骨魚類の「ゾウギンザメ」がゆらゆらと泳いでいます。

 日本海溝のコーナーは、四方から見られたのですがリニューアル後は、L字のみ観察でき、通路は封鎖され、館内喫茶「マーメイド」が、「cafe ROF(リングオブファイア)」となって拡張リニューアルされていました。席数は減らされていたものの、大阪港を一望できる窓際と水槽を眺められる席などに分かれています。
 水槽側は今は席を解消しているようでした。
  私も少し休憩がてらカメラの調整など兼ねて、入店しました。
 マスク姿の店員さんに、少なめの利用客。ホントはもっと大混雑するはずだったのにと、想像してしまいます。軽食とドリンク提供で、ジンベエザメパンも売っています。私は、夏場に最速で溶けて失敗した「ジンベエソフト」に再挑戦。 人目をはばかり、オッサンがソフトクリームを味わいます。許せ!

 衛生への配慮は、間隔の空いた席数とともに、離席後の消毒がこまめでかなり徹底していました。家族連れでも心配なく利用できると思います。まさにこの時期だからこそ積極的に利用して、満喫して欲しいスポットです。マニアはこの時期を逃すな!と言いたいです。

  順路はこれまで見てきたコーナーの深部へといざない、さまざまな動物の表情を何度も味わうことができます。人によっては、何度も同じ生き物が出てくると興ざめすることもあるようですが、私はむしろいろんな視点でその生き物に遭遇できる他の園館ではあまり味わえない展開を高く評価しています。
 例えばエトピリカが水中をペンギンのように滑空する様や、ペンギンが背中から気泡をまきながらスイスイ泳ぐ姿、カマイルカが縦横無尽に水槽を駆け巡るチェイスを披露するかと思えば、水中で愛想を振りまくアザラシとアシカ、アカハナグマのずっと下で寝そべるコモリザメ。
 グレートバリアリーフの急な斜面を上へ下へと忙しいカラフルな魚たちと底に散らばるサンゴトラザメの卵殻の様子など、見どころは尽きません。

 もちろん、太平洋水槽は、順路を外れるまでずっと見続けながら進むことが出来ます。表層・中層・底層の魚種の違いや水槽の雰囲気の差など、同じ水槽とは思えないほど豊かな表情を見せます。
ハンマーヘッド、上から見るか?下から見るか?
 しかもひと続きの順路でそれが達成される機能性もまた、あっちこっちへ行かずとも順々に追って行ける点で優れています。
 思えばこの設計が30年前にすでに達成されていたことは、21世紀を先取りした思想であったというべきでしょう。いまさら海遊館を私が褒め称えなくてもすでにこれまでの入館者数が物語っていることでしょう。


 海遊館と私。奇跡は常に互いの間に

 だいぶツンデレに開館からの30年過ごしてきました。つい最近まで年パスを作らず、律儀に入館券を購入し年5回以上は行っていました。(おおよそ2回で元が取れる年パス…今年から+2000ほど値上げされます)
 なぜかというと、ネットで訪問記を乗せるためにいろんな施設を訪ねて頻度を重ねる中で公平に施設の取り組みを評価できないのでは?という悩みがありました。取り組みを是々非々で評価するなら、無条件に施設の肩入れをするような立場であってはダメだと。
 屈折した下らないこだわりかもしれません。
 一方サメサイトをやる上で見る側になるべく公平な意見を提供したいとの考えもあったのです。しかし好みは変わらないのであくまで私のスタンスで紹介すべきだとの結論に至りました。 

 海遊館もまっすぐ王道に水族館として歩んでこれたわけではない、と見続けて思います。
 迷走とまでは行かないまでも、施設のキャパと集客が釣り合わない時期があったり、生き物の展示に試行錯誤を重ねたり、オモテだけでなくバックヤードでもさまざまな労苦を経て、今の地位や評価につながったと思っています。そしてまだ伸びしろのある施設だろうという可能性を行くたびに感じます。転石苔むさず、を地で行く水族館、そんな見方をしています。

 ちなみに私が最初期に見た生き物のラインナップは、今とかなり違うもので、かなりエッジの効いた展示群だったと思います。
 環太平洋を標榜する「リング・オブ・ファイア」というテーマの束縛と柔軟性のバランスを、現場感覚でされていたと感じる場面があったりして、当初の組織、第三セクターで大阪市の設立会社「大阪ウォーターフロント開発」から、近鉄グループ「株式会社海遊館」まででも、如何に見せるかという点で常にチャレンジがあったと思います。
 多様化する価値観の中で、変わらず支持されるためには、ニーズにこたえるばかりでなく、ニーズを生み出す姿勢でいることがパイオニアたる海遊館の姿でしょう。

 「ふあふあクラゲ館」からクラゲ展示のリニューアル「海月銀河」。映える展示は姉妹館ニフレルの影響を感じます。そして新体感エリアで「北極圏」での極寒の魚や無脊椎動物、天井から挨拶するワモンアザラシ。
 「フォークランド諸島」では、イメージ通りの岩場をホッピングする「イワトビペンギン」。
 ついに生き物と触れ合えるサメエイのタッチプールとなる「モルジブ諸島」(なぜかインド洋)。
 直近の大幅リニューアルでは話題をさらい、より魅力的な生き物との機会が提供されたことを素直に喜んでいました。 他方、順路に人間と生き物の関係を示す環境啓蒙の展示も付加されています。プラスチックに苦しむジンベエなどのわずかで地味なものですが、意外と気にかけて見る方も多いのです。楽しいだけではない生き物とのかかわりがそこにあります。海遊館ではプラゴミ削減の一環として、ショップでのレジ袋は紙製品へと移行しています。雨天時は少し不安ですけど。

 さて接触機会の多い展示で新型コロナの影響をもろに受けたのはこれらのコーナーでした。
 近さが売りなゆえ、ビニール幕や柵でなどで遮断されたりし、特にサメタッチコーナーは封鎖されていました。触れられない分、新たな展示方法を模索できないか、この時期では課題の多いエリアです。
 ここまで、ビル内の換気対策として非常通路などが解放されたり(立入不可)、館内座席の縮小など、念入りに対策されています。不安解消と感染拡大防止を念頭に施せる術は尽くされた感があります。今のところ不安に思った場面は、来館者同士の距離感(生き物に夢中になるが故)以外は皆無です。強いて言えば、この制限状態が続くと施設の維持が厳しいものになるなという部分でしょうか。
 運営側の視点を想定すると、少数観覧を続けることから徐々にリフトアップしていかなければならないだろうと思います。状況の判断が厳しいのは変わらないでしょう。

 開館30周年を迎えた奇跡と情熱 

 開館から30年。いくつかの展示ブースでは特別展示となるパネルなどがありました。海遊館の成り立ち、設計集団ケンブリッジセブンや立ち上げ直後の様子などは、見ていて面白かったです。
 当時は日本もバブル景気で、箱モノがジャンジャン作られた時代です。南港港湾開発のATCビルなど負の遺産に対して、北港大阪海遊館はそんな時代の方舟のようでありました。

 記録に登場する、今ではお歴々の関係者も若く、新しい時代の担い手として写真やビデオに映っていました。若い!フサフサ!痩せてる、男前や!など(好き放題の感想で申し訳ない)、在りし日の姿はこの海遊館という時代の波を先導する活気に満ちていました。時代が海遊館を作り、海遊館が時代を作った、そんな30年だったでしょう。 
 特別展示30周年記念ブースでは、これまでのノウハウの蓄積の紹介とともに未来の海遊館への言及がありました。
 もっと没入感の強い施設の構造を追求したり、文科的要素との融合を目指したり、色々とまだまだ海遊館は変化し続ける生命へのスタンスで私たちを魅了し続けることでしょう。
 融和と調和、もう一歩踏み出せるステージはそう遠くない未来に実現できそうな気がします。
 海遊館が一つの巨大な生命装置で、私たちもその一部となり水となって循環する姿を想像するに、系列のニフレルがやや人間よりの視点で統一されていることから一種の実験的施設と考えて、さらにそこから生命観の醸成を促すより自然に近い施設となるでしょう。
惜しい! イヌザメベビーのハートまであと一歩
 海遊館を巡る順路は、自分が例えば一粒の滴になって空へ上昇し(長いエスカレーター)、やがて雨となり川へそそぎ(日本の森)、海へ至り、太平洋の周りを囲みながら様々な気候の下で旅をする、環太平洋の命の輪を巡るものなのです。
 なので、水面から徐々に深度を下げて水中へエントリーする疑似体験ができるのです。ドボンと海へ浸かるのではなく、陸へ進化した私たちをじわじわと海へ回帰させる意図を汲むことができるでしょう。
 海遊館の凄さというのは、まさに進化という時計の針を逆回りにし、自分の命の原点を海から見直す疑似体験を無意識に味わえる点にあります。だから他の水族館のテーマがきわめて文明的なのであるのに対し、自然のままに近いすがたを見せたいという意図が生命観の提供につながってくるのです。

 1990年にすでにそのコンセプトは確立されていた、ということを知るとどれだけ先進的でまた普遍的な生命へのアプローチがされていたか、驚愕に値します。
 10歳だった当時、私はジンベエザメの大きさに感動すると同時に、「すべての生き物はつながっている、そこに自分もいるのだ」という真理を強烈に焼き付ける体験をすることができたのです。
今あなたがここにいるのも、生き物と出会うのも奇跡。
 30年という月日は生命史から見ればちっぽけなものですが、海遊館が観客に与え続けた一瞬はその月日以上に広がりを見せたのではないでしょうか。
 2020年、未知のウイルスが文明社会を脅かしている昨今、海遊館が届けているメッセージは、生命礼賛であると同時に自然の一部である自分の姿を再認識させるという意味でこれ以上にない価値を持つことになるのです。
 
 人間が文明を享受することで脅かされている生命がそこにはあるのだということを考えると、ウイルスは脅かされる側の視点を与える唯一の人類への戒めにも思えなくはないのです。自然に意志があるのなら、人間の活動を制御する手段にウイルスが選ばれたのは、人知を超えた何かを感じてしまいます。
 文明への疑いの眼差しと生命への思慕は車の両輪で、新たな社会へ通じることでしょう。

 最後にサメファンとして、各地への展開として徐々に行動範囲を広げていこうと考えていますが、日々の状況を注視しながら、やめる時はきっぱりやめるという決断もまた必要だと思っています。

 以下は、今回の利用で私が意識して注意した点です。厳しいのかもしれませんが行動選択の材料として参考にしてもらえればと思います。(これを守れ!とは言えません)
 ・体調がきわめて正常であること。(訪問前に自主的に体調・体温検査する)
 ・感染予防の措置に必要な衛生用品を携帯し、いつでも使えること。
 ・移動は速やかに、かつ静かに。
 ・意識して人との距離を測り、常に間隔を空けること。
 ・設備などに極力触れることのないよう注意を払うこと。
 ・事前情報をチェックし、スタッフから指示されたことなどをよく聞きいれること。
 ・生き物に夢中になりすぎないようにし、周りへの配慮を欠かさぬこと。
 ・いつもよりも多めに消費行動をする。(少数来館でも単価を上げて貢献)
 ・滞在時間をあまり長く取りすぎないこと。(密への配慮)
 
新しくなったスーベニアショップ、グッズも充実。おかげでかなり散財しました。

 無論、気にしすぎると疲れるのであくまで楽しむためのステップとして、この段階かなと客観的に判断していきましょう。なれれば日常になる、ので自然と身に付けたいものです。
 お互いを思いやる気持ちこそ、感染拡大を防ぐ大きな武器です。
 ぜひ楽しんでお過ごしください。

 またどこかでお会いしましょう。

 Haie
 

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